話の飛躍

http://www.huffingtonpost.jp/rootport/post_5947_b_4139629.html

↑この文章は、藤子不二雄の言葉を引用したあとの次の箇所

人の感情に触れることができなくて、なんのための文章だろう。すべての単語、すべての文に論理性と情緒性の二面がある。論理面だけで文章を評価するのは、燃費だけで自動車を評価するようなもの。ドライブの楽しさをわかってない無粋な評価法だ。

ここのところに論に飛躍があると思う。

惜しい。「情に訴える泣き落とし」めいたことを入れなくても論旨は通るのに! 情報収集のあとの作文もしくは推敲の段階で読者との間合いを見極めていくことになるのは確かだとして、そこのところを「情緒性」と言ってしまうのは短絡だと思う。