誰?

https://twitter.com/smasuda/status/541929316951392257

「身近にはもちろんいる」んだ。それは凄い、誰なんだろう?実在するなら、勿体ぶらずに、その人を暫定的なモデルケースとみなして思考を先に進めればいいんとちゃうの。「エア」なセカイならではの妙な文章でございます。

(まさか……デマ?学会イベントという既成事実を作ったから、あとはこれを原資にヴァーチャルな言論を運用すればこっちのものだ、と思っているかもしれないが、今ろくに調べないで適当なこと言ったら、もうヒトとして終わるよ。)

岩崎宏美とオーケストラ、というコンサートをやった楽団は知っているが、「クラシック音楽としての本田美奈子・大江光」とは、今までの人生で少なくとも私はまったく接点はない。

だからそれ、「クラシック音楽」という一枚岩な括りではないんだと思う。(←学者ならわかると思うが、優劣とか、そんな話をしとるんとちゃうよ。慌てて勘違いせんどいてや、今でも十分すぎるくらい、あんさん、クラシック音楽が絡むとピリピリして、いちいち言うことが面倒くさいんやから。)

あと、細かいことだが、

「練習すればするほどよくなる」様式

の件は偶然さっき別の文脈でぼんやり考えていて、おそらく現状の「日本のクラシック音楽」は、もう、練習「すればするほど」の右肩上がり感を持っている人はあまりいなくて、「自分はここまで」というのをどこで悟って、だったらこういう生き方をする、とそれぞれが決めているように見えます。

ひとしきりやることやったので、逆に、いま、日本のクラシック音楽に「天才」は出ないと思う。誰かが「天才」の語を用いているとしたら、現場では賞味期限が切れた言葉を情報落差で利用しているんだと思う。

「天才」談義は、クラシック音楽的には、むしろ、迷惑なんですよ、マジで。

そんなことをいつまでも言ってるから、「そういうニーズだったら、日本人のこういう人たちにやってもらえば十分なのに……」という案件で大金積んで外国からイマイチの人たちを呼んでくる、みたいなことが起こる。そこは、割合実務的に、需要と供給のマッチングを調整できる余地がある。

あんまり簡単に「ポエム」にしないで、散文的に処理できるところは散文的に処理するのが学者です。