「ある対象を理解するためにはその対象に深い愛着をもっていることが必要」という謬見は日本の人文学の発展の足枷となってきました。いまでも人々に足枷をはめたり作ったりすることが自分の使命やと勘違いしてるおっちゃんおばちゃんは多いので若者は気をつけろよ

たとえばこういう適当なこと書くのがウケるんかねえ。虚ろな日常ポエムやねえ。

https://twitter.com/smasuda/status/542287198280630272

(↑https://twitter.com/mas__yamazaki/status/542208749423710208 を踏まえて書いているらしいのだが、直接つながっていると受け取られないように巧妙にとぼけている。)

亡命はそれを受け入れる国がないとできない(からレアなんじゃないの?) 受け入れられなかったら単なる不法入国・第三国への追放か、最悪、強制送還ですよね。合法的な移住との区別をわかった上で言ってるのかな。

今現在、日本国から普通にパスポートを発給してもらえて、相手国のビザを所定の手続きで取得できる可能性が高い立場にある大学教員が「亡命」できる先といったら北朝鮮くらいじゃないかしら。

アメリカがある時期大量の知識人の亡命を受け入れたのはナチスや共産主義に対抗する国家戦略だし、「亡命」は、超政治ではなく、我が身が国同士の政治の駒になることを受け入れる選択肢ですよね。[そしてアメリカはヨーロッパからの「亡命」を歓迎する一方で、「敵国」である国内の日本人を厳重な監視下に置いたことを忘れるわけにはいけない。今でもパール・ハーバーやVJデーはアメリカのメモリアルな日でしょ。]

国家間の明白な政治的対立があったり、国際的な対立と連動する政情の急転がないと亡命は実現しない。(戦後、ナチスの残党を遠方の軍事独裁政権がかくまう、というのもあったが。)

「ポエム」ならぬ散文で言えばそういうことになる。

政治へのコミットメントがいきなり「亡命」というのは、逆に本気度を疑われよう。ポエムなんじゃないか、もしくは、やるならカッコよくやりたい、というチャラいブランド志向、一発逆転でヒーローになりたい虚栄心なんじゃないか。

[そういえば、湾岸戦争の最中に中東からアメリカへ演奏旅行に行ってそのまま亡命した若いヴァイオリン弾きがいたそうで、現時でその人物に知り合い、結果的に亡命の片棒をかつぐ形になった人から、ものすごくショックだった、という話を聞いたことがある。増田先生も知ってる人だよ。亡命は、そんな風に当人も周囲も「無傷」ではいられない緊急措置です。]