夢は夜開く、は過去の風習なのか?

家庭交響曲はイタリア語で symphonia とイタリア語で言ってるのがミソで、既にロココのコスプレが始まっているからコーキョーキョクを期待するのは違うよなあ、

というのが1点。

あと、子供はオトナにまとわりついて五月蝿い、というところは、技術的に頑張ればお客さんにすぐに伝わるけれど、長い長い緩徐楽章が難所で、あそこをきまじめにやるとただ退屈なだけになる。

わたしが経験的に語りうることではないが、中年夫婦の機微の色んなことは、子供が寝静まった深夜にあるのだろう。

家庭交響曲はサロメの赤い月を書く前で作曲者は「夜」を書きたがっていたお年頃、死と変容もツァラツゥトラもドン・キホーテも、みんな、夜中に色んなことを妄想する。

そして最後のオペラも「月光の音楽」が有名だったりして、シュトラウスは、なんだかんだいって「夜の世界」に囚われた作曲家なのかもしれぬ。(アルプス交響曲も、真っ昼間に頂上へ上って万歳!のあと、山を下って夜のとばりが降りるところまで、作曲家は執拗に書くわけです。←朝比奈隆のアルペンは、昼間の登山の体力・脚力では若い者に叶わないが、最後の夜のところは案外面白かった記憶がある。)

このあたりは、夜が明るく安全になったとされる現代人の「ナイトライフ」なるものからの類推では伝わりにくいところで、深夜放送なるもので命脈を保ったラジオ局出身の某氏の解説ではこのあたりの機微は一切スルーしていたわけだが、本来、これこそが、言葉や演出や解釈でギャップを埋めなきゃいけないところだろう。

びわ湖ホールや兵庫芸文のような公立劇場は、ほぼ、「夜の世界」を諦めて、「明るい昼間の公演」が主体になっている。新たに二日公演に来年度から参入すると発表したセンチュリーや京都も、煎じ詰めれば、週末の昼公演を増やしているわけです。

(まあ、平日の昼間の業務時間内に会議して企画・立案するのだから、アウトプットが「昼間寄り」になるのもしょうがないのか……。)

大フィルの2日公演も、「木・金の夜公演」でやってきたのが、週末の昼間を入れるようになっていますね。

大フィルであれ朝日新聞の大阪国際フェスティバルであれ、昭和の大阪のクラシック音楽は「中之島のナイトライフ」に組み込まれていて、音楽家は「夜の世界の住人」だったわけですが、さて、どうしますか。

フェスティバルホールは、上記の滋賀や兵庫の公共ホールと違って、建物の作り自体が昼間でも星空の輝く「夜仕様」だし、これを生かすアイデアがあるんじゃないかという気もするのだが。

(ホールから一歩外に出ると、金曜の夜で飲み会帰りの方々と一緒になる。このあたりを歩く人たちは名の通った企業の率が高かったりしそうだから、多少景気がいいのかなあ、と想像したりして、それはそれで悪くない雰囲気なのだが。)