批評の優性保護論

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人は誰しも、こういう率直な疑問から出発するものなのかもしれないけれど、もう少し整理してから外へ出した方がいい気がする、というより、この段階で、脊髄反射でこのやりとりを拡散しちゃおう、と思うオトナがいることが、私にはちょっと信じられないなあ。

青柳いずみこは、おそらく言ってるだけで自分ではそういう批評を書けてはいない人だと失礼ながら思うけれど、彼女が言うような批評が実際に書かれてしまったときに、そこでどういうことが起きるか。たぶん、その実体験がないところで、様々な思いが空転してしまっているのではないだろうか。

イレギュラーな情報流出にしかめ面、というのは、冷静な損得勘定というよりも、非嫡出児はヒトとして認めない、という未開な習俗に近い成分を含むと私は思います。そして今の世の中には、悪性の(と判定された)批評を事前に流産させてしまおうとする究極の優性保護政策みたいなことを知らず知らずにやってしまうタイプのマネジメントというのが存在するわけです。でも、それでも、批評はこの世に生まれ、書かれてしまう。人間社会はそういうところです。それが嫌なら、人間を止めるしかない。

そういう風通しの良い言論の場があってこそ、「おまえ何いってんだ、オレは認めん」とかなんとか、口々に闘えるわけであって。いい子ちゃんが行儀良く並ぶような批評って、ありえないよ。

作曲や演奏も、そんな行儀がいいのばっかりだったら退屈でしょう。