「横社会」説

A「Bさん、こういう話があるんだけど、やってみない?」
B「ありがとうございます。で、私は何をしたらいいんですか?」
A「いや、もう、あとはキミにまかせるよ」

というが、「上(A)」のご恩に、「下(B)」が奉公する縦社会の「気が利かない応対」。

A「Bさん、こういう話があるんだけど、やってみない?」
B「ありがとうございます。じゃあ、私のところにちょうど○○があるんで、それを使いましょう」
A「うん、そうしたまえ。やはりキミに話をして、よかったよ」

というのが、縦社会のデキル応対。面倒はすべて目下の者が申し受けます。走ります。

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A「Bさん、こういう話があるんだけど、やってみない?」
B「いいですね。で、私は何をしたらいいんですか?」
A「いや、もう、あとはキミにまかせるよ」
B「あ、はあ、そうですか。じゃあ……」

となって、

(Bの心の声:自分から話を振っておいて、フォローなしかいな。まあ、困ったときはお互い様。今回は貸しにしときましょ。)

……で、数ヶ月後

A「Bくん、このあいだは、先方も喜んでいたよ。やっぱりキミに話をして、よかったよ。今度は、××という話があるんだけれど……」

(Bの心の声その1:この人は、どうやらこっちに全部押しつける気やな。貸し倒れやがな。深入りせんうちに手を引こう。)

B「いや、すんません、今はちょっと手一杯でして。また今度」

あるいは、

(Bの心の声その2:ちょうどエエとこで会ったわ。最前からCがややこしいこと言って来てるが、Bさんやったら、押しが強いから、うまいことやってくれそうや。これでこの間の貸しはチャラや。)

B「はあ、なるほど。ちょっと考えさせてください。それはそうと、実はエエ話がありますねん。Cという人がいましてね……」

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縦社会がどういうものか、という話は「日本人論」でおなじみだからいいとして、まさかとは思うのだが、いわゆる横社会が、フラットにみんな横並びで仲良く譲り合う絆で「みんな友達」の理想社会、とか思ってはいないよね。

縦社会的に「できる応対」な人も、横社会では、

A「Bさん、こういう話があるんだけど、やってみない?」
B「いいですね。じゃあ、私のところにちょうど○○があるんで、それを使いましょう」
A「え、まあ、そうですね。それじゃあ、とりあえず、そんなところからボチボチ考えていきましょか」

となりつつ、

Aの心の声:どうも話がうますぎるなあ。裏があるんとちゃうか。代金は全部こっちもち、勧められるままハンコ付いて、こっちが借金背負うことになったらかなわんがな。

と様子をうかがわれているかもしれない。万が一ということがあるもんね。提案したBの側が、大丈夫という保証になるものを上手に見せとかなあかんわ。

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たぶん、編集権(誰が仕切るか)というのも同じ話で、

「○○先生、今度是非、弊社にも原稿をお願いしたいと思いまして……」「で、内容は」「いや、めっそうもない。それはもう、先生のご自由にお書きいただければ……」

というのは、上下関係が入れ子になった縦社会な感じがするんだよね。横社会的には、当面の契約における優先権の話に過ぎないよね。どっちが何をどこまで仕切るのか。

で、もうひとつ。

「接待されるのはいつ何時でも無条件無制限に嬉しい」

とぶら下がる人が、

「一人でも多くの人間の面倒を見るのが甲斐性というものじゃ」

とトリクルダウンしまくる人にくっつくケースがある噂されているようだ。

與那覇潤は、これを「中国化」と呼んだんだよね。

もう一方の「縦社会」が與那覇用語では「江戸時代化」。

なぜだかよくわからないのだが、「日本人論」が好きな人は、あまり「横社会」の話をしないよね。歴然と存在するのに。

細雪 (上) (新潮文庫)

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