管理職と管理人

オヤジの半可通の昔話である。

SNSは色々な処理・手続きが自動化&ユーザ各々による自主管理であるらしいが、昔、メーリングリストや掲示板で人々が情報交換していた頃には、「管理人」と呼ばれる世話役が必要だった。

英語で言うと administrator なので、統治者・行政執行者といった風な場・システムを司る役職ということになるが、振る舞いは集合住宅の「管理人さん」に近く、経験的に、そのほうが上手くいく、ということだったかと思う。

(集合住宅の管理人のほうは、英語で言うと manager とか caretaker、実際の土地・建物の所有・登記者ではなく、雇われた代行人であることもしばしば、ですよね。)

「管理人」が「統治」すると、MLや掲示板は荒れるか、もしくは、廃れる、としたものだった……ような気がする。

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で、一方、インターネットなるものに日本で個人が簡単にアクセスできるルートがまだなくて、ホストコンピュータと個々のコンピュータを電話回線で直接接続するタイプのネットワークが「パソコン通信」と呼ばれて国内でさかんに利用されていた時代があって、ニフティが最大手で、掲示板に似た「会議室」というサービスが提供されていたけれども、そこを管理する「シスオペ」と呼ばれる立場の人々は、どういう経緯か知らないけれども、時として、集合住宅の管理人さんというよりも、「統治者」に近い振る舞いをすることで知られていた。

「シスオペさん」は、「管理人」というよりも、組織・会社の「管理職」っぽい振る舞いをすることがあった、と言い換えることができそうな気がします。

でも、それじゃあ「管理職」って英語で言えば何なのか、というと、administrator もしくは manager なんですよね。

「シスオペ」というカタカナ語のほうも、英語(英語圏)で system operater という言葉が掲示板(BBS)等の administrator と同義で使われて、SysOp とか、Admin という略語が流通しているのを踏まえていたっぽい。

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ややこしいようでもあり、何もややこしくないところに「火のない煙」みたいな話なのかもしれないが、

どうやら、manager や administrator と英語圏(米語圏?)で呼ばれている役割が、縦社会の文脈に組み込まれると「管理職」という出世絡みの言葉に化けて、一方、横社会の文脈に組み込まれたときには「管理人さん」として振る舞い、限りなく caretaker に接近する、ということであるようだ。

だからどうした、という話ではないが、そういえば、manager や SysOp/Admin が別に「出世」ではないような組織の組み立て方が欧米にはあるらしい、と言われたりもするよね。若くて機敏に動ける者に manager/administrator を任せて、年季の入った年寄りは専門一筋、みたいな……。「グローバル化」がせっかく叫ばれていながら、なんとなくスルーされちゃっているけれど……。

つまり、日本という「小さな家」を包摂するグローバルな「大きな家」がある、みたいな縦社会的セカイをイメージして恐れおののくのもいいが、manager や admin が「管理人さん」なのだとしたら、グローバルとは、広い横社会かもしれないわけだ。

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別に、ニューヨークやロンドンやモスクワの「海抜」が東京より有意に高かったりするわけではないのだから、セカイの「大きさ」をイメージするときに「高さ」の比喩がどこまで有効か、というのは、考えものだ。

「大きい」は、「高い」こともあるし「広い」こともある。その両方の属性をあわせもつこともあるし、そうじゃないこともある。

スポーツの国際試合の報道やマンガは、しばしば「世界の壁」とか、そびえ立つものを受け手が思い描くように誘導するし、世界のハヤオ・ミヤザキの主人公は、町山智浩によると、必ず高いてっぺんへ上昇して、墜落して、再び上昇する高速エレベータみたいな動きをするそうだが……、

「高さ」を確保しようとすると、地球には重力というものがありますから、どうしても、たくさん積み重ねる形になって、下にかかる負荷がどんどん大きくなって、やりすぎると壊れちゃいますからねえ。学校の組み立て体操(←もはや、あれ「体操」じゃないよね(笑))も、やり過ぎちゃダメ、とか言われているんでしょ。

戦争で言うところの兵站だって、一箇所に高く積み上げたら相手の標的になって一瞬で破壊されて元も子もない。大事なのは、「高さ」ではなく、幅と長さだよね、たぶん。