号令と協和

(「改革の連発が次第に人の判断力を鈍化させる」は一理あるかもしれないが、声高に危機感を煽られて毎日が防災訓練、竹槍とバケツリレーでもないよりましだからやりましょう(草の根隣組)、というのも困りものだ。最初から「単なる気休めです、うちは不当表示はいたしません」と、そんなことまで合理化・透明化されてもなあ、という感じ。安全安心、使う人の気持ちに立ったユーザフレンドリーな危機感とは、これいかに、だよ。

もはや、常人には、どっちがどっちだか区別がつかぬ。マクロもミクロも、グローバルもローカルも、リアルもヴァーチャルも、迎合・翼賛の人も反対・抵抗の人も、とにかく号令が好きで、日日、号令の練習ばかりやっているようにしか見えない。体育教師の集合と聖歌隊指揮者の集合の重なり部分だ。まあ、それがいわば、ニッポンのオンガクか。1945年の夏を境に rational と irrational の啓蒙に宗旨替えした、とまでは言えそうにない。吉田秀和の夢よりも、号令と協和のほうが長生きしとるわ。協和の人、小澤征爾はアサイチに出たし(←母に電話で起こされた)。)

[こういう人間力対決になると、有働さん、いまいちやったね。やや残念。ジャニーズ、イノッチはしっかりしとった。]

江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本)

江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本)

産業としての近代文学はもう亡びる/亡びた、なのだとしても、谷崎・大江が出た文学の山の標高は、ニッポンのオンガクの山より高かったかもしれない。人類史のなかで、とりあえず音楽と呼びうるかもしれない音の文化が、山の「高さ」で勝負したのは近代ヨーロッパだけと言えそうなので、彼らの最強不敗神話はマッチポンプの気配があるけれど。