贅沢な宙返り

(いわゆるエアリプな感じに元発言はリンクしないが、

でも……、残念なことに、林達夫や吉田健一の戦時中の持って回ったエッセイは同時代にはほとんど無力であった。戦争が終わったあとで、「私は当局に屈したわけではありませんでした」と彼らが身の証を立てるアリバイになった。それだけのことです。花田清輝は、その典型と言われるようだ。屈折しすぎていて、読んでも何に対するあてこすりなのかすらわからないから、当局に放置されたのであろう、と。

つまり、知識人のなかには、いかにも知識人らしく、保身においても贅を尽くした者がいる。ルイ15世様式の内装でコーディネートされた防空壕、みたいなもんですな。傍目にはアホらしいわけだが……。

(大きな戦争のあとで、しばしば若い世代のアートがシンプルを目指すのは、物資窮乏だけでなく、戦争中にこの種の我が身をやたらに飾るアホなオッサンをたくさん見て、うんざりした反動なのであろう。)

コミットしなかった者が「善」であり、コミットした者は「悪」である、という二分法では語り得ないものがある。戦争協力とは何であったか、を論じるときの基本なのだろうと思う。

獄中にいて何もできなかった浦島太郎状態の人が指導したから、戦後の共産党は迷走した、っていうのは、私らより上の「戦後世代」にとっては常識みたいだよ。彼らは、そういう面倒くさい戦中派に、マジで迷惑したわけだから……。)

近代日本の批評1 昭和篇(上) (講談社文芸文庫)

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