賭場が開く、初春経済ダービー

講談社や文藝春秋の取り扱いになると、クラシック音楽の手を離れて「現代文化研究」の人が色めき立つ。 → 例:佐村河内

みすず書房が翻訳すると、経済学者の分厚い本が本屋の哲学の棚にならぶ。 → 例:あれだよあれ

ぼくらの近代建築デラックス!

ぼくらの近代建築デラックス!

講談社は音羽という当時は郊外だったところに今も会社があって、本社ビルが近代建築の本で紹介されたりするらしい。そして一方、文春は戦後、銀座にビルを建てたらしい。夜の世界の中心に文春あり、ということか。

みすず書房ってどこにあるの。→ 本郷、ああ、そうなんだ。

「ええか、こういうときに慌てて本を買って、内容を理解しようと思うのはアホや。情報のキモは血統、それから風や、運気を読むんや。人生はギャンブルや」

(現状、こういうタイプの人は東京が一手に引き受けている。大阪では結構露骨にバカにされる傾向があり、一か八かの博打の人はどんどん卑屈になっていったりするように思う。勝ち続ける、とか、ありえへんもんね。そういうところは「堅い」土地柄なのよ。[ただしその分、そうやって墜ちていった人のためのメニューも用意されていそうなので、怖がることはありません。どんどん賭けなはれ(笑)。]

一方、京都の人は、色々思惑があっても人前では黙ってる(かも、笑)。

出版業界の一極集中ってのはそういうことか。「構造が存在を規定する」っちゅうやつやな。)

ニッポンの思想 (講談社現代新書)

ニッポンの思想 (講談社現代新書)

つまんなかったからこの本はもう捨てちゃったけど、著者は長らく個人事務所を渋谷に構えているらしい。ニッポンの音楽のあと、ニッポンの文学を書くそうだが、その次はニッポンの経済だったりするかもね。