住友銀行頭取から朝日放送社長、プラザホテル社長を歴任した朝比奈隆の盟友、鈴木剛(京都帝大経済学部卒)は、日経新聞「私の履歴書」で、大正11年の住友の入社面接のとき、「キミは国家存亡の危機には、国益と会社の利益のどちらを優先するのかね」と訊かれて、「もちろん国益を優先します」と答えたらしい。
これだけだったら、成功した経営者が自らの高潔な志を誇る自慢話、もしくは、「昔の経営者は人格も一流だった」という昔話に過ぎないが、この談話が1982年10月の新聞連載に出ているのは、ちょっと面白いかもしれないと思う。
これは、鈴木剛が創ったプラザホテルの隣に、これも彼がかつて社長として創生期の舵取りをした朝日放送がザ・シンフォニーホールをオープンしたのと、タイミングを合わせた連載だと思われる。
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バブルの80年代が始まろうか、というタイミングだが、内務省出身の中曽根康弘が内閣総理を務めていたように、80年代の躍進するジャパン・マネーの財界側の「顔」は、ことごとく戦前から(鈴木剛の場合は大正期から)仕事一筋でやってきた老人たちだった。
ジャパン・マネーの躍進は、おそらくこういう人たちにとっては営利と国益が合致する至上の時だったのだろうし、それは同時に、こういう古参の老人たちと、「若者たちの神々」とか言われちゃった新人類の人たちが手を取り合って祝福する事態だったのだと思う。
「反抗する若者」というイメージは、80年代には効力を失っていたと考えた方がいいということか。