問答無用な東国文化を柔らかい個人主義で論評する

山崎正和が、サントリー文化財団設立当時を回想して、当時の東大の先生たちの権威主義(目上の研究者を「先生」と呼ばずに「さん」付けすると烈火の如く怒る、とか、どこかで無礼者を問答無用に切り捨てる感じがあるわけですね)を指摘するのを読むと、彼がどうしてサラリーマンに人気があったのかわかる気がする。学生として接してもピンと来ないところがあったが、山崎正和は、年功序列な「組織」に入った人たちに染みる話ができたんだと思う。

思えば、関西文化人(←関西財界に元気があった昭和期にはこういう立場があり得たのです)のなかで、小松左京とか梅棹忠夫とか、万博をもり立てた大正世代が戦後のボスで(今話題の桑原武夫もここに含まれるのだろうか?)、山崎正和は営業課長めいた社交的な中間管理職の雰囲気がある。