在日日本人の思想:人類学とジャパノロジーと知の経営

阪大の音楽学の講義をやる視聴覚教室は文法経講義棟の一番端にあって、渡り廊下の先は日本学の研究棟だった。小松和彦の授業を受けたが(『消えたヒッチハイカー』についてレポートを書くのが課題だった)、日本学にはなんとなくなじめず、「こっちは文化人類学で、渡り廊下の先は国策エリート養成機関だ」というのを薄々感じていたのかもしれない。ポストモダンの浅田彰が山口昌男を妙に評価して、昭和天皇崩御の前後に「私は在日日本人だ」と言ったりしていたので、たぶんこっちにいるのが正解だろう、くらいに思っていた気がする。

カルスタ・ポスコロはそんなポストモダンの後を継ぐ90年代の知的ファッションで、そこに「ニュー・ミュージコロジー」というスローガンが立ったのだから、その動きは概して「遊民」的で、中曽根時代のジャパノロジーに続く新しい自民党の国策だったのであろう「クール・ジャパン」とは、相容れないところがあっても不思議ではない。

東浩紀の「観光」は、どこかしら浅田彰の「在日日本人」を思わせるところがあって、そうすると、「遊民」vs「国策」という話をするときに、改めて「在日日本人の思想」を考える、というのは、ありなのかなあと思ったりはする。

ただし、「在日日本人」は、山崎正和や浅田彰が私大の「長」になったり、東浩紀が会社の社長だったりするように、もはや、大学教員のような団体・組織の従業員・サラリーマンの思想ではなく、経営者の思想かもしれない。「知」が水平的なアソシエーションであることに固執するのではなく、団体・組織の経営を視野に入れると、そこに別の思想が立ち上がる、と言えばかっこいいけれど、東アジアの風土では、そういう立場を確保しない言えないことがある、ということなのかもしれない。

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私たちは理解ある経営者のもとでこんなに自由に活動しています、という情報発信は、煎じ詰めれば、リベラルアーツというより、団体企業法人の宣伝になる。官僚がナショナリストに帰着するように。

まあ、すべての言論は広告である、というシニシズムもまた、80年代のサブカル由来なわけだが。

人文ヒューマニティーズという近代の理念が、文系理系の区別を派生させたりして官僚的になりやすいのに対して、リベラルアーツという中世伝来のユニバーサルな理念の方が高等遊民的ではあるだろうと思うけれど。