そこから利益を得る行為のいったい何がいけないのだろう?

「政治家と官僚がどちらが学問を食い物にするかで争っている」

という表現を見かけたのだが、それを言うなら、大学教員もまた、学問で食っているのではないか。自分がそこから利益を得ていることが(山崎正和の采配で)公然化することとなった「サントリー学芸賞」の受賞者が、あたかも何の分け前も得ていない聖人君子のようなふりをするのは、ちょっと違うのではなかろうか。

そこから誰がどれだけの分け前を得るのがいいのか、たしかに高等教育をめぐる議論は不毛になりがちだが、「大学教員が自分の取り分を聖域にしてきたのではないか、それでいいのか」という問題提起が発端だったように思う。

聖域であるとは思わないが、これだけいただかないと困ります、というのを、大学教員が最初にはっきり条件提示したら、話はもっとすっきりするのではなかろうか。「現状で特に不満はないので(←そりゃそうだろう)、残りを政治家と官僚でどう分配するか、あとはそちらで勝手にやってください、私は知りません」ということなのかもしれないけれど、これもまた、随分と「非人情」(←夏目漱石の高等遊民用語)な話ではあるわけで。