プロとアマの境界に花開く都市文化の可能性

関西(とりわけ大阪)のクラシック・コンサートが減って、地元の「プロ」と呼んで良いのかはっきりしない手弁当団体と、東京や国際市場につながった公演の配合比率は、なんだか戦前・昭和前期に戻ったような感じがするが、そうなってみると、大阪の特性は手弁当団体の多さではないかという気がしてくる。

(のちに関西交響楽団/大阪フィルに合流することになる大阪の放送局JOBKのオーケストラが出てくるまで、戦前の大阪にも手弁当の演奏団体が群雄割拠していたらしいことが伝えられている。)

「中央」から派遣された人材のもとに地方楽壇が形成されるのではなく、独学や芸事・お稽古のかなり厚い層があって、その土壌から「手弁当団体」が乱立するのだとしたら、それは、「中央」目線でしばしばそのように疑われるような「大きな田舎の自己満足」ではなく、別のタイプの都市文化だと言っていいのかもしれない。

大阪フィルは、そういう土壌のなかで、「プロ」として立つ姿勢をずっと維持しているわけですが、創立70周年記念のバーンスタイン「ミサ」の評は、今日の日経夕刊(大阪版)に掲載予定と聞いています。