歌手・言葉が前にせり出す「歌謡曲」の起源

「J-POPは歌謡曲と違ってサウンドの快楽を優先する」というのを、曲が先にあってあとで歌詞を付ける製作プロセスとリンクさせると、なるほど、と思えてしまうけれど、今ではむしろ、「かつて歌謡曲では歌手・言葉が前にせり出してバンドのサウンドが背景に退けられていたのは何故か」ということのほうが謎のような気がします。

黎明期のレコード歌謡は単一のマイクで収録されていたようだから、その頃の録音バランスが長く標準になっていたのか、とも思ったのだけれど、いわゆる「洋楽」は、たぶんそれほど歌手・言葉を前にせり出させないのだろうから、レコード歌謡のバランスは歌手を強調するのが標準である(伝説のクルーナー唱法以来レコード歌謡とは歌手・声重視のジャンルなのだ等々)とは言えなさそうだ。

声をバンドのサウンドより重視するバランスの起源を黎明期のレコード歌謡に求めることができないとしたら、どこに鉱脈を探せばいいのか? レコード歌謡の誕生以前から日本古来の感性は「声重視」なのだ、みたいな神話的な起源を主張すべきなのか、それともレコード歌謡誕生以後のどこかにポイントがあるのか。

オカルト的なナショナリストでないのであれば、後者を探索すべきでしょうね。

似た事例として、以前、「刑事コロンボ」のオリジナルと日本の吹き替え版を比較したら、日本版ではオリジナルよりSEやBGMの音量が絞られていた。映画でもこうしたことがあるのだろうか?

でも、映画では、日本の作品でもかならずしもSEやBGMを極端に絞っているとはかぎらないように思うので、これは、洋物を字幕ではなく吹き替えで放送したテレビ特有のバランスだったのではないかと思う。

「歌謡曲」の歌手・言葉が前にせり出すバランスは、もしかすると、まだステレオ放送が実現していなかった時代の貧弱なスピーカーのテレビ(ということは1950年代から1970年代)の感性なのではなかろうか。