近況、最近の仕事などのご報告です。
いずみホールのPR誌『Jupiter』の最新号に、いずみシンフォニエッタ大阪10周年の感想をひっそり寄稿しています。ホールのPR誌にホールお抱えの看板団体への批判的なコメントを載せてもらうことは可能なのか? ちょっと青臭いことに挑戦してみました。
(ホールへいらっしゃる機会があればご覧下さい。)
ほかに、
ブルーノ・カニーノのザ・フェニックスホールのリサイタルの解説を書きました。スカルラッティ/クレメンティ/ロッシーニ、そして、リストが「ベートーヴェンのスコア」という不思議なタイトルで出版した交響曲ピアノ編曲(今回演奏されたのは第4番)という一癖あるプログラムです。
シューベルトのピアノ小品のことをあれこれ調べていた学生時代から、クレメンティ、フンメル、フィールドといったロンドンのピアニストたちのことは気になっていました。
(イギリスからピアニストが次々出てきたというだけでなく、スカルラッティの楽譜が海賊版で出たり、クレメンティ少年が人身売買同然で連れてこられたりして、のちにはベートーヴェンを熱くさせた混血のヴァイオリニスト、ブリッジタワーもポーランドからイギリスへ連れてこられます。お金とモノの流通はあるけれど人権や著作権で音楽家が守られていない状態で、鍵盤音楽は曲芸として消費されていたようなのです。)
せっかくそのあたりのことを書く機会が回ってきたので(しかも大井浩明さんの師匠カニーノという一筋縄でいかない人ですから)、どちらかと言えば穏健にお客さんをびっくりさせない文章をご所望の傾向があるザ・フェニックスホール様(なんといっても親会社は保険の会社、リスク管理が生命線であるようなところですから)で、どうすれば書きたいことを書けるか、私なりに知恵を絞ってみました。
それから、関西フィルの定期演奏会。芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」、伊福部昭「ヴァイオリン協奏曲第2番」、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」の解説も書かせていただきました。
「音楽における民族派」というのは、ユーラシア大陸について、西の端っこのヨーロッパ以外のすべてを、イスラム圏もモンゴルの遊牧民も儒教文化圏も全部まとめてアジアと呼んでしまうのと同じくらい乱暴で大雑把な言語感覚だと思わざるを得ず、
週末のNHK総合テレビで、黒柳徹子さんとにこやかに「音楽の広場」の司会をしていた「あくたがわさん」と、幼少のみぎりの片山杜秀さんを音楽の世界へ引きずり込んだ伊福部昭大師匠と、「本当はラヴェルが好き」と学生時代にボソっと言っていらっしゃたことのある伊東信宏さんに「根性棒」のように使命感としての東欧研究を注入してしまったバルトークが、お互いに似ているはずがない。と思いながら作文しました。
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5月中は、ここ、はてなダイアリーにも荒っぽい話ばかり書いていたような気がしますが……、
道のないところに言葉で無理矢理、道路を通すような仕事が続いていたからかもしれません。
作文している本人は、「ここにトンネルを掘って、直通ショートカットが絶対便利!」とか、「ここは通行止めにして、回り道するほうが、景観を守ってエコになるはず!」とか、いちおうのリクツを用意してはいたのですが、ご賛同いただける措置だったかどうか……。
話を無理にややこしくしているだけでなければいいのですが。
(ちなみに、メンデルスゾーンとバッハと滝廉太郎というヘンテコな三題噺の文章
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100513/p1
は、3年前に書いた下のリンク先の文章をご参照いただけると、わかりやすくはならないかもしれませんが、「こんなことを考えているヤツだったら、しょうがない」くらいには思っていただけるかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20070705/p1
わたくしが、大栗裕だの、関西の戦後の洋楽だの、と言い出す直前の文章です。この頃からすでに変なことを考え始めていたのですね。)
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6月に入って、今度は反対に、放っておけば複雑になりそうなことを可能なかぎり簡単・平易にまとめる仕事が続きそうです。
明日6/13は、大阪音大のクローズドな行事ですが、中高生のための吹奏楽ワークショップがあり、そこに大栗文庫のミニ展示を付属図書館が出してくださることになって、パンフレット作りをお手伝いさせていただきました。
普段書いているような、いちおう大人向け想定の文章を一旦書いてみて、そのままではゴチャゴチャしているので、中学生のみなさんに読んでいただけるように、そこからさらに話題を半分以下くらいに削って……という作業になって、結構時間がかかってしまいましたが、新鮮な経験でした。
最近ご遺族から新たに、幼い頃の大栗裕の写真などをまとめて大栗文庫にご提供いただきまして、そうしたものも展示されるようです。
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大栗裕はピアノが弾けなくて、天王寺商業時代に、ハーモニカの数字譜でシンフォニーを作曲した、というエピソードが伝わっています。
大栗先生本人が「(今でも)ハーモニカで作曲しているんだ」と言っていた、というのは、音大で管弦楽法の授業を受けた複数の方からお聞きしていますし、ご遺族も、自宅のコタツでハーモニカを吹きながら譜面を書いている姿を記憶していらっしゃるようです。
今回、そのハーモニカも展示されます。
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日本現代音楽協会のような作曲家団体があって、作曲家が職能団体として組織されてしまっている現在では、ハーモニカで作曲するなんて、そんな人間を現代作曲家とは認めがたい、話にならん、と言われてもおかしくないのかもしれませんが(涙)、
だからこそ逆に、ハーモニカ片手にオーケストラやオペラを作曲するのは、町工場でロケットを飛ばすくらいカッコイイことのような気もします。
(実際、1960年代には、労音の企画ですが数々のヴァイオリン作品を初演した海野義雄にソナタを提供したり、松山バレエ団の中国公演で「赤い陣羽織」が上演されたり、びっくりするような仕事もしています。『音楽芸術』が60/70年代に出していた別冊年鑑「日本の作曲」のあずかり知らないところで、そういうことが起きていたのです。コタツでハーモニカで作曲した曲なのに!)
評価はどうあれ、大栗裕はそういう人だったのです。
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カルスタ/ポスコロ90年代風の近代の見直し論でいくと、戦前の「阪神間モダニズム」があって、戦後の一番の大物は朝比奈隆で、大栗裕はその座付き(良くも悪くも)という切り口で歴史に登録されることになるのだと思いますが、
(こういう風にしておけば、いわゆる戦後前衛作曲史から大栗裕が外れていることにも、各方面と摩擦を起こすことなく説明がつきますし……、作曲業界・音楽研究業界推奨の見取り図はきっとこれだと思います)
でも、ハーモニカで作曲する無謀なカッコよさは、それでは片付かない。
この話を聞くと、身構えた高邁な議論が全部腰砕けになってしまうようなところがあるんですよね。
これは、大栗裕が肖像写真でみせるトボケた表情とか、彼の音楽にしばしば出てくる、いかめしいブラスの雄叫びのあとの、ワラカそうとしているとしか思えない絶妙なタイミングの木魚の「ポコッポコッ」という合いの手の軽みに通じるのかなあ、と思います。
こういう「軽み」をうまくすくい上げるのが、大栗裕を演奏するポイントなのかなあ、と思ったりもします。
自分を偉くみせたい欲望といいますか、鎧で身を守らねばならないオトナの事情といいますか、そういうのがあると、大栗裕の音楽とは波長が合わないことにもなるのかも。
大栗裕は亡くなる前年の夏から体調が悪くて、「仮面幻想」は病床で書いたとされています。で、このCDのジャケットにも使われている笑う舞楽面(春日大社所蔵)に最後の作品で着目したのは、本当にこの人らしいなあ、と思います。
- アーティスト: 木村吉宏朝比奈隆,大栗裕,朝比奈隆,木村吉宏,大阪市音楽団
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2009/04/22
- メディア: CD
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