「現象を救う」中世人と「現象を作る」近代人(承前:村田純一『技術の哲学』)

村田純一『技術の哲学』を「科学と技術」のところまで読みました。ますます面白くなってきました。

技術の哲学 (岩波テキストブックス)

技術の哲学 (岩波テキストブックス)

技術(エンジニアリング)は科学の応用だ、と言うときには、一方に、精緻に数学化・幾何学化された世界像の理論として科学があって、他方に、経験の集積としての技能があって、技術はその中間に位置づけられるのが一般的で、科学の知見を「応用」して、技能で対処していた領域を更新していくのが技術・エンジニアリングなのだけれども(←私が財務理事としてExcel使って茨木市音楽芸術協会で3年間挌闘していたのがまさにこれだ(笑))、

この「応用」が曲者で、実際には科学の「理論」と、技術の「設計」には大変な距離があり、技術の「設計」には、科学的な「理論」に還元できないノウハウや創造性が膨大にある。(例えば航空力学の理論だけで良い飛行機を設計できるわけではないし、コンピュータの世界では、文芸的プログラミングの提唱者であるクヌース博士の作った組み版システムTeXは、残念ながらあんまり美しい設計ではなくて、計算科学の大家が必ずしも良いプログラマとは限らないことの例として、しばしば話題になる。)そうして、このような科学(理論)と技術(設計)の差異を踏まえて、学問論を技術寄りに更新しようとしたのが、デューイのようなプラグマティストだ。←今ここです。

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「理論」と「設計」の差異という話は、音楽で言えば作品概念の形成・台頭という現象とぴったり重なりそうですね。(前のエントリーで、ここを読む前に私は作曲家を音楽の「設計者」と書いていましたが、その理解でよかったみたいです。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120525/p1

19世紀の音楽批評や20世紀の音楽研究は、「作品」を論じ、その「理論」へ還元できない「設計」の機微を記録・解析・評価することに多大な労力を費やしており、これを、最近の英米プラグマティズム大好きな人は「作品中心主義」などと否定的にレッテル貼りしますが、古代以来の技術哲学の系譜に照らすと、観念的であるというより、むしろこれぞまさしく、音楽の領域における理論からの技術の自立の代表例だと思います。

(だからこそ、ヘーゲルのような観念論者はベートーヴェン風の純器楽を嫌ったわけです。コンサートにおけるピアノやヴァイオリンやオーケストラの興行は、あれこれリクツを付けて様々に「解釈」することは可能だけれども、さしあたり感覚へ与えられる刺激としては、精緻に設計された技術的達成を聴くしかないわけですから、クラシック音楽は、実にマニアックで、一般精神へ背を向けた特殊な遊びです。

そしてE. T. A. ホフマンやシューマンのあたりから、言葉遣いはロマン主義の黒魔術風ではあるけれど、音楽通の「秘儀」として、音楽の「設計」の技術論が脈々と伝承されて20世紀の音楽分析へ至っている、というのが、戦後西ドイツの音楽研究の主流の考え方ですから、それは、デューイが言うプラグマティックな知と、それほど遠いものではないと思います。……というより、戦後「非ナチ化」して、「ヨーロッパのアメリカ化」の優等生だった西ドイツにふさわしい西側自由主義陣営の音楽論として考え出されたのが「問題史としての作曲技術史」という視点なのですから、これがアメリカ風プラグマティズムに似ているのは当たり前。ヨーロッパ大陸はいまでも「合理論」に凝り固まっている、みたいに言うのは、英米贔屓の見る幻だと思います。

戦後ヨーロッパの音楽研究は、日本へ紹介されたとたんに美学風の「理論」と音大楽理風の「技能」へ引き裂かれてしまうので、ダールハウスが何者であったか、ということすらよくわからなくなって、アドルノ(美学者が持ち上げるほどには音楽の「技術」に長けているわけではない)とか、メシアン&ブーレーズ(音楽留学生が神格化するほどに「理論的」とは思えない)が局地的に妙に偉いことになってしまっていますが、

この本を読んで、またひとつ、渡辺裕のインチキを暴く道具立てを増やすことができました。(^^))

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ただし、こういう近代の科学(理論)と技術(設計)の差異は、科学がルネサンス期に道具や実験を駆使する技術と手を携えた「科学革命」のあとの話で、古代や中世の理論・観想が製作(技術知)と峻別されていたのと比べれば、科学と技術が急接近しているのは間違いない、ということではあるようです。

そして「科学革命」については、村田先生が、中世風の「現象を救う」理論との対比で、「現象を作る」という言い方をしていらっしゃったのが印象に残りました。

天動説の天文学が複雑怪奇なのが典型なのでしょうけれど、長らく必然の法則(その究極が創造主・神ということになる)が確固としてあって、個々の現象(ヒトの儚い人生というのもそこへ入る)は、理論によって正当化されねばならず、それこそが「祝福・救いである」という構造になっていた。理論が「救済」できない現象は誤りであり、悪魔の仕業であったようです。

そして実は、ガリレイの慣性(ふりこ)や自由落下(ピサの斜塔の逸話)の発見も、観察・実験によって理論を更新したわけではなく、現象をよりよく説明し、より多くの現象を「救う」ことができる理論として考案された、と見た方がいいらしいです。科学史では比較的よく耳にするようになった話ではありますけれど、「科学革命」の立役者たちは、神の真理を疑ったわけではなく、より良く神を知ろうとしたんですね。

(この説明のほうが面白いという「見立て」を効果的に宣伝して、自信満々だったわけですから、ルネサンスのユマニストは與那覇潤みたいなものかもしれません。)

むしろ、ルネサンスで重要なのは、望遠鏡という道具を使うことで太陽の黒点、月の表面、木星の衛星が見えてしまう、というように、新しく考案された道具によって、今まで知られていなかった「現象」を知覚できるようになったこと。いわば、新しい道具が新しい「現象」を作ったも同然な状態になって、そのように、「(道具によって)作られた現象」を事実として認めるか否か、が問われるようになったことだと、村田先生は言うんですね。

これもメディア論などで比較的見かけるようになった論法のような気はしますけれど、「現象を救う/現象を作る」という一瞬で覚えられる標語にまとめてくださっているところが、使えるテキストブックだと思いました。

(そして、村田先生はそういうことは書きませんが、中心地がダイナミックに移動する世界システム論的には、後進地ヨーロッパのその後の躍進を支えたこれらの「発明」の多くが中国から遅れてようやくこの頃ヨーロッパへ流れて来た物だ、というところが面白がられることであるようですね。與那覇潤の、中国のほうがヨーロッパより先進国だ、という言い方もこれに由来する。目覚ましい出来事の尻馬にのって面白い「見立て」を観想(妄想)し、言論の帝王を目指すか、その出来事の「しくみ」を時計職人のようにコツコツと解析するか、政治屋と技術者が分かれるポイントかもしれません。)

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そして、この「現象を救う」から「現象を作る」への転換が近代への決定的な一歩である、という論点は、いわゆる理系にかぎらず、人文科学でも言えそうですね。

たとえば歴史学。

運命的に反復されるものとして観念されたり、天地創造から最後の審判までの唯一不可避の直線として表象されたりする時の流れの法則があって、そこへ個々の現象を配置するタイプの歴史と対比すると、

新しい史料を「発見」したり、既存の史料の配置・組み合わせを工夫することで、「過去が本当はどうであったか」という事実認定を更新していく実証史学は、「現象を作る」技術に基礎を置いていると思うのです。

(大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」が1955年中に完成したと推定するのは無理だ、1956年完成と考える以外にない、ということは、この作品や同時期の関連作品の自筆資料と当時の文献資料を一覧すると詰め将棋のように一本道で結論が出てしまうのですが、そのような「望遠鏡」で覗いたことのない人には、なかなか信じていただけないようで、これは、わたくしの不徳の致すところでございます。それでも地球は回っているし、お月様にウサギは住んでいないのに(笑)。)

そして観察・実験という技術が実験室(ラボ)という人工的な場所を必要とするように、近代の大学は、実証史学という「現象を作る」技術を伝授するために、演習(ゼミ)という新しい制度を考案したんですよね。

大学とは何か (岩波新書)

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言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)

遺族とコンタクトを取り、生前の詳細な日記を読みうる僥倖にめぐまれたことで、鈴木庫三という情報将校を新たに「出現」させてしまった本。與那覇潤氏は、佐藤卓己先生に会ったときに、これの続編があるのですか、というような意味の質問をしたそうですが、その愚問は、「見立て」によって「現象を救う」ことしかやらないコメンテイターが、「現象を作る」に至る僥倖とそれを引き寄せるセンス、あるいは「現象を作る」際に引き受けねばならない責任の重み、といった諸々を本当の意味で体験的に知っているわけではないことを露呈しているように思う。

音楽の分析が演習形式でしか本当の意味では教えられないのも、分析が「現象を作る」技術だからだと思います。

「大陸は合理論で、英米は経験論であ〜る」とか、「日本の歴史は「中国化」と「再江戸時代化」で読み解きましょう、楽しいよ♪」という(ちょっと疑わしい)理論は、大教室の講義で大先生が演説すれば済むけれど(そして講義の形で流通しやすいお話であるがゆえに信じられやすいけれど)、理論と設計の差異、そして、近代的な知の土台になっている「現象を作る」技法は、講義で不用意に話すと、インチキ臭い錬金術か何かのように思われてしまいそうです。シェーンベルクが公衆から撤退したのはたぶんそういうことでしょう。「作曲は教えられない」などといういかようにも解釈できる格言は、耳に快く人口に膾炙しますが、本物の技術者は、伝えるべき相手にあなたの知らないどこかでちゃんと技術を伝授していると思ったほうがいい。(「伝授」というと、技術というより技能の伝承のような感じになってしまい、正確な言い方ではないにしても。)

小鍛冶邦隆さんの2冊の本というのもそうで、あのクオリティの知見が演習の場で披瀝されたら壮観だろう、ということは「技術者」だったらすぐにわかると思うのですが、普段エラソーに演説する人にかぎって、あの本にケチをつけたりして、自分が「現象を作る」技術を本当には授かっていないことが露呈する。あれは、音楽の「理論」の人と「技術」の人を分ける踏み絵のような本だと思います。

作曲の思想 音楽・知のメモリア

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いわゆる近代社会というのは、きちんと「現象を作る」技法を授かって、しかるべき「設計」ができる人材を各所へ配置してはじめて回っていくようになっていると思うのですが、これからもそれでいくことになるのか、それとも、情報監視社会なのか「中国化」なのか知りませんが21世紀がそうなるであろうと言われている未来像は、もはや、そういうのを必要としないのか。

まあ、先のことはよくわかりませんが、『技術の哲学』という本を読んでいると、たぶんが自分が音楽学として授かってしまったような気がするのだけれども、どうにも位置づけの説明が難しいアレ(とりあえず「技術」と呼んで良いのだろうか、と戸惑いながら日々行使してしまうアレ)のことを説明するときの役に立つのかもしれません。