着脱可能・巻き戻し可能な状態で貼り付けるのが引用

という風に、科学が容認するコピペ=引用は、技術的に説明できるんじゃないの。

活字出版(を模倣するデジタル書類)だったら、「」で括るとか、空行で前後を仕切って、当該段落をインデントすることで、引用箇所が着脱可能になっている。

で、どうして着脱可能な状態を保持するかというと、あとで巻き戻して検証・再現するためでしょ。

で、それじゃあどうして検証・再現をそれほど重視するかというと、ユニヴァーシティ(大学)というところは、果てしない夢として、ユニヴァース=世界・普遍を目指してるからだ。

こいつはこんなこと言ってるけど、なんでそうなるんじゃ、と、架空のタイムマシンを起動して、過去に遡ってやり直す。それが再現。ユニヴァースを目指す者は、仮想的ではあるけれど、そうやって、時間という不可逆的な現象を可逆的に操作しようとするわけです。

それがユニヴァーシティの住人の作法なのであって、だから、コピペしたあと、ブラシでつなぎ目をわからなくしたり、無数のコピペをシャッフルしたり、コピペのソースを申告しない奴は、そんなことしたら学問という時空を超えるタイムマシンが動かなくなるじゃないか、と怒られる。

つまり、不作法なコピペをすると、論文というマシンが壊れるからやめてくれ、と、管理部門が言ってるわけです。

精密器機を設置した部屋が禁煙だ、とか、書架の本は、読んだあと、分類番号に従って所定の位置に戻してください、とか、そういうのと同じようなことに過ぎず、引用と剽窃の区別は、さほど深遠な英知の扉ではない。というか、時空を超えたいユニヴァーシティという営みも、実は「機械室は禁煙です」みたいな形而下の運用規則の集積で稼働しているに過ぎない。

……という機械論的な説明じゃだめなの? とりあえず、入門編の説明としては、これで十分でしょう。

(そしてこれすら難しい、無理、という人は、「引用」が織りなす学問という名の人力タイムマシンの運用を諦めて、作業の「やり直し」を、アップル社謹製のOS標準Time Machineにお任せしてはいかがかと(笑)。大学がやっていることは、それほど崇高ではないけれど、機械を上回る性能で時空を操作しようとする程度には「高等」で浮き世離れしているのだと思う。

で、おそらく、「コッピーにあらず」のスローガンは、世間から見ればそれなりに「高等」かもしれない人力タイムマシンの稼働なんざ、私たちは余裕でやれる。その上をいく「知的生産の技術」(当該機関元教員の言葉)を目指しておるのだ、の意味と思われる。)