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サミー・ネスティコ

コモンウェルス・ヴァージニアの地図上の位置を確認して、次はサミー・ネスティコである。

ビバップからクールの50年代に低迷したカウント・ベイシーがクインシー・ジョーンズらをアレンジャーに迎えて60年代に復活して、その流れで空軍バンドからスカウトされたのがサミー・ネスティコなんですね。

私は阪大で吹奏楽をやっていたわけだが、合宿の余興でビッグ・バンドをやろうということになって(その頃バーンスタインのシンフォニックダンスを練習していた)、「お前はピアノが弾けるのだから、この最初のソロをコピーしろ」と渡されたのがカウント・ベイシーのウィンド・マシンのカセットテープだった。無理ゲーである。

当時、軽音楽部ジャズ班がいつも学生会館の外で練習していて、待兼山キャンパスに常時鳴っていたのが、彼らの十八番のこの曲だった。高校時代テキサスに留学していた吹奏楽団のサックス吹き(シンフォニックダンスをやろうと言いだしたのも彼)が軽音から楽譜を調達したのでしょう。渡された譜面は手書きだったが、軽音のビッグバンドはベイシー/ネスティコをコピーしていたようだ(=30年越しで明らかになったささやかな真実)。

そんな「ニュー・ベイシー」の立役者はクインシー・ジョーンズということになっているようだけど、黒い重厚なアレンジですね。Soul Bosa Nova(大阪モード学園)とか Ironside (ウィークエンダー)とか、彼のオリジナルはスカした60年代の感じがする。

ジャズとしてはクインシー・ジョーンズが本筋なのかもしれないけれど、むしろネスティコの軽くキラキラしたアレンジでベイシーは70年代80年代を生き延びたんですね。空軍バンド出身というだけでなく、なるほどネスティコのほうが吹奏楽とは相性が良さそうだ。