承前:アメリカ合衆国が移住先に選ばれた理由

去年、女性ピアニストの系譜を整理したときに、マイラ・ヘスとかワンダ・ランドフスカとか、戦後LPを通じて日本でも名前が知られていた鍵盤奏者たちが、どうやら第二次世界大戦中に、ナチスと闘う聖女、のイメージで喧伝されていたらしいことを知ったのですが、第二次世界大戦中の欧州の音楽家たちの合衆国への移住を、ステレオタイプに「ナチスを逃れて自由の国アメリカへ」という物語に収めてはいけないかもしれない。

ストラヴィンスキーが「ダンバートン・オークス」で元外交官のブリスとコネクションができて、ハーバード大学に招聘されてそのまま移住、という経緯を見ていると、移住は理念主導の政治的アクションというより、もっと実際的な縁の積み重ねで実現したのだろうと思えてくる。

バルトークの場合、シェーンベルクの場合、コルンゴルトの場合、ヒンデミットの場合、等々、それぞれを個別に見て、「創られた人民戦線神話」を崩しておいたほうがいいんでしょうね。

(その一時代前のロシア革命後の亡命/再帰国といった音楽家たちの複雑な動きについては、最近、随分慎重に取り扱われるようになったような気がしますが、第二次大戦中の移住をどう捉えるか、というのは、少なくとも私には、まだ全貌がよくわからない。)

関連して思うのだけれど、「自由の国アメリカ」への移住は「正義」であって、彼らが脱出せざるを得なかった帝政ロシア/ソ連やナチス時代の欧州は「悪」もしくは「闇」である、というイメージは、ひょっとすると、冷戦後の「ニュー・ミュージコロジー」なるスローガンにも影を落としているのではないでしょうか。

この運動は、要するに、音楽における「悪の枢軸」であるところのドイツを北米の音楽学者が成敗する、戦後アメリカが建国した傀儡政権としての「西ドイツ」による自助努力ではまったく不十分である、サダム・フセインをイラクから排除したように、これからはアメリカが欧州の音楽を直接統治するから覚悟せよ、みたいな話なわけですよね。

カルスタ・ポスコロには20世紀文化史の見通しを良くする効用があると思いますが、それは一周回って、ニュー・ミュージコロジーに対するカルスタ・ポスコロを要請するところまで行きそうな気がします。

コープランドやバーンスタインもその一翼を担ってしまった「パン・アメリカ」の理念などは、既に批判的な吟味の対象になりつつあるようですし……。