名誉白人の夢よ永遠に(「関西の民間ホールはいま」in『音楽の友』2月号)

先月末に日帰りで行った東京、音楽之友本社にて、渡辺和さんの司会で、響敏也さんとわたくしであれこれお話した座談会の模様が「関西の民間ホールはいま」という記事になったようです。

あっちこっちに話が脱線しがちな話をきれいに整理していただきまして、「まとめ」としてお名前が出ている飯田有抄さんをはじめとするスタッフ・編集部の皆様に感謝でございます。ありがとうございました。

掲載誌を送っていただきまして、とても久しぶりに「音楽の友」という雑誌を読んだのですが、今の音友は、ものすごく海外情報比率が高いのですね。写真もたくさん載っていますが、ほとんどが白人さんか、白人さんの中に混じって違和感がないように撮影された日本人さん。

もちろん、クラシック音楽はもともと(というより現在も、でしょうか)ヨーロッパで生まれ育ったもので、日本の音楽雑誌は、最初からヨーロッパの情報を日本に紹介するのが大きな趣旨のひとつ。座談会でも、関西では、昭和のはじめに、朝日新聞が大々的に「国際文化としてのクラシック」路線を打ち上げて、すべてはそこからはじまっていたようです、という話をさせていただきました。

ただ、その話は続きがあって、フェスティバルホールの休館で、「長い夢」の時代に区切りがついたのではないかと思う、という趣旨の発言したのですが……、

そんな私の発言が掲載された雑誌は、昭和前期の朝日会館の機関紙「会館芸術」や、最近資料調べてよく読んでいる昭和30年代ごろの「音楽之友」(「之」と表記されていた最後の時期)よりも、はるかに完璧かつ洗練されたやりかたで欧米のほうを向いているのでした。全然「夢」は終わってないのですね。

座談会のなかでご紹介させていただいた第1回大阪国際フェスティバル(正確には初回のみ「大阪国際芸術祭」と名乗っていました)の通し切符の話は、ほかでもなく昭和33年の「音楽之友」でなされた座談会記事からの引用でありまして、そこでは、「フェスティバルに恥ずかしくない服装で」という切符の但し書きに対して、座談会参加諸氏が「朝日新聞は何を気取っているんだか」という調子で反応しているのですが……、

2009年の「音楽の友」は、巻頭に、ウィーンフィル主催の「舞踏会に恥ずかしくない」振る舞いをする小沢征爾氏の様子が報じられて、すぐあとで、やはりフォルクスオーパーの「こうもり」で「恥ずかしくない」仕事をしたという阪哲郎さんが紹介されているのでした。^^;;

Concert Reviewsで取り上げられている国内演奏会は、当然、カジュアルな出で立ちの黄色人種のお客さんが大半であると思われるのですが、そういう(舞台上からは丸見えであるはずの)会場の様子は誌上に出ないし、そもそも、Concert Reviews自体が、ウィーンの舞踏会における小沢征爾や阪哲郎、ヒラリー・ハーンなどなどのグラビア記事の、ずーーーっとあとのほうなのですね。

(ただし、「音楽の友」での演奏会評の位置づけは時代とともに移り変わっていて、まだコンサートが少なかった昭和30年頃は、今と同じように雑誌の真ん中から後ろに「今月の演奏会」のようなまとめ評が出ているだけです。「短冊のような定型批評で何がわかる」と揶揄されたりもしていた統一フォーマットの個別評が「音友」の目立つ場所にドーンと載っていたのは、昭和から平成をまたぐ一時期だけみたいですが。)

ともあれ、全体として、誌面の雰囲気は、「ニューズウィーク日本版」とか、海外雑誌の翻訳に国内記事をいくつか足した翻訳雑誌によく似ているなあ、と思ってしまいました。モノ(CD)を売る雑誌「レコード芸術」ではレビュー記事もそれなりの分量ありますが、イメージを売る「音楽の友」のほうにこの「夢見心地」傾向が顕著みたいですね。皆様の「夢」は、終わるどころか、今やどこにも隙のない完成の域に達しているのだなあ、とちょっと感動しました。(誰か個人の意志というのではなくて、たとえば今回の全4ページ座談会が記事になるまでに、最初に書かせていただいた「まとめ」役のライターさん以下、何人もの方々が裏で動くというように、長年の歴史で、「夢」を雑誌にする工程が完成しているのだろうなあ、と想像しております。)

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東京のコンサート事情(少なくともジャーナリズムや興行元から伝わってくるような)が、関西から眺めているとどこか別の国の出来事のように思える、というのは、日頃から薄々感じていたことではあります。

来日オーケストラ演奏会で、東京側製作のパンフレットを見ると、東京だけ突出して公演回数・演目が充実していたりしますし、パンフレットに掲載されている文章の過剰な清潔感と申しましょうか、ちょっと浮いた感じの感触は、この「音楽の友」という雑誌の雰囲気と同じだなあ、と思い当たります。よその街の出来事なので、別にいいんですが……。

大正世代の貴志康一や大澤壽人、朝比奈隆さんの世代は、関西から直接ベルリンやパリと取引して東京に依存しないルートを開拓していたわけで、たぶんそれは大阪に本社があった企業のやり方に似ているのでしょうし、学問の世界でも、京大は(東大との差別化として)そういう海外との直接取引の気風があったように思います。

その後、(おそらく座談会の終わりのほうで話題になった、関西のクラシック業界ですら公的補助への依存を強めた80年代頃から)圧倒的に巨大になった東京に依存してもいいんじゃないの、無理に肩肘張らなくても、という感じになって、その完成形が現在、ということかもしれないのですが(今や、関西在住で活躍する指揮者というのはほとんどおらず、オケの常任ポストを持つ人も、ほとんどが演奏会のときに関西へ来るだけですし)、これから、どうなっていくのでしょうね。

(「演出役」がいない、という話題が座談会で出ていたのですが、例えば、大植英次さん(じゃなくてもいいですが)に「大阪市音楽監督」のポストを用意する(実際の事業は民間で勝手にやってもらうけれど、その切り盛りをする「頭脳」を自治体が確保する、政治の世界に公職としての知事や市長がいるように、ただし名誉職なので給与とかはちょっとだけ)とか、思いつきですが、そんなやり方もありうるんじゃないでしょうか。楽団を作ってしまって、それを突如切り捨てる、となると大がかりな雇用問題ですが、世間を盛り上げる「おっちょこちょい」役を一本釣りで雇って、いらなくなったらサヨナラ、というのであれば、もうちょっと自治体さんも気軽にお試しが可能なのでは? 今の府知事さんのポジション自体が、まさにそんな感じですし……。「大阪市の次の音楽監督は誰が有力?」等々、ゴシップが飛び交うことになれば、人事自体がお祭りイベントになって楽しそう。)