吉岡洋・岡田暁生編『文学・芸術は何のためにあるのか?』と、岡田暁生×片山杜秀「21世紀の音楽批評を考える」(京大人文研)

吉岡洋・岡田暁生編『文学・芸術は何のためにあるのか?』という本を見ると、岡田暁生さんが「音楽・芸術は生きる希望を与えてくれるか?」という論文(エッセイ?)を寄稿していて、三島由紀夫「小説家の休暇」と並べて、片山杜秀「音盤考現学」が関連図書として紹介されていました。

文学・芸術は何のためにあるのか? (未来を拓く人文・社会科学)

文学・芸術は何のためにあるのか? (未来を拓く人文・社会科学)

片山杜秀さんに対する岡田さんの入れ込みぶりは、ひょっとすると、「中高一貫・私立男子進学校」の連帯感(どこかしらホモソーシャルな香りのする)を含んでいるのではないか、と最近秘かに思っているのですが(岡田さんは京都の洛星卒、片山さんは東京の暁星卒、「芸術の感動は、思春期の不安定な自我の心の支え」という上記論文の主旨や、「脱帽したまえ、天才だ」というシューマンを引用しつつ片山さんを称賛する旧制高校風の身振りにも、私立男子進学校文化の香りがあるような……)

そのお二人の対談本が、内田樹先生(戦後共学の日比谷高校卒)のお知り合いがやっているというアルテス・パブリッシングから出るらしく、

その近刊にも収録予定とされる特別対談(6/2(火))のチラシを、先日の「カーリュウ・リヴァー」公演のときに岡田さんご本人からいただきましたので、主催の京大人文研へのリンクを貼っておこうかと思います。

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/

わたくし自身は、中高ともに公立共学で、私立男子進学校の作法はわかりかねます(しかも岡田さんは、共通一次導入前の一期校・二期校制で受験した最後の学年だとか)。このような対応が日本版アイビー・リーグ(ちょっとニュアンスが違いますか?)のお作法にかなっているのかどうか、よくわからないのですが、よくわからないものは、手元に置いておくより、それが必要な人へ届くように、庭先へ貼りだしておくほうがいいだろうということで。