前にご報告した神戸女学院の授業(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20090423/p1)のつづきです。
1930年代には、映画が蓄音機との同期に成功して、いわゆる「トーキー」の時代になるわけですが、この時期のハリウッドで音楽が重要な役割を果たしているとされる作品を見直すと、音と映像の同時収録よりも、先に音楽を録音して(=「プレスコprescoring」)、動きを「音楽に同期させる」手法が目立つように思います。その典型がディズニー長編アニメーションとミュージカル映画。
そうしたことを5月の数回の授業で確認しました。いずれも、映画に詳しい人には恥ずかしいほど常識的な話だとは思いますが、あくまで基本的な事柄を整理することを目的とする授業で、愚直に基本の基本をまとめたものがなかなか見あたらなかったので、授業をしながら、手探りで話をまとめております。
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史上最初のトーキー映画とされるのは「ジャズ・シンガー」(1927年)。
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のちの主流になる光学式(フィルムに音の波形を焼き付けたサウンドトラックを設ける方式)ではなく、ワーナー社のヴァイタフォン方式(映写機とレコードの同期)で、アル・ジョルソンがジャズを歌う場面はまるで同時録音のようにぴったり映像と演奏が同期しているのですが(実際がどのように収録されたのか、までは確認できませんでした)、それ以外のシーンは、台詞が字幕、音楽は雰囲気作りのためのオーケストラ。無声映画上映で行われていたという楽団の生演奏を「缶詰」化したようなものになっていますね。
ジャズ演奏のシーンでも、重要なのは、動きと「音楽」がシンクロすること。アル・ジョルソンが「声」(台詞)を発するのは、有名な「お楽しみはこれからだ」の一節のみで、これは予定外の即興だったとの伝説があるようです。「史上初のトーキー」は、スクリーン上の人物が自らの声を発する真性トーキーではなかった。このことは、それ以前の無声映画(前回観た)が十分に成熟した娯楽になっていたこととあわせて、映画における音と映像の同期が本当に自然なことなのか、考えるためのヒントになりそうです。スクリーン上に投影されたアル・ジョルソンの影が声を発することは、この映画では、あくまでアクシデント(あってはならないこと)であるかのように突発的に起きるのですから……。
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ディズニー・アニメーション映画は、音と映像がぴったりシンクロしていることで知られていますが、改めて最初の長編「白雪姫」(1937年)を見直すと、その場で当然鳴り響いているであろう環境音がほとんど存在せず(=のちの映画で一般化する「効果音」がほとんどなく)、ほぼ最初から最後までびっしり「音楽」が鳴っています。
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「先に音楽スコアを書くprescoring」という姿勢が徹底していて、台詞も映像の動きも、まるで「○○小節の××拍目で雷が鳴る」等々と音楽スコア上に指定されているかのようです。環境音がほとんどないことと合わせて、この「森羅万象が音楽にノッて進行する」ことが、ディズニー的な「夢」の音楽的実体なのかな、と思います。
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「魔法にかけられて」(2007年)の冒頭10分以上切れ目なくprescoringされたアニメーションは、明らかにこうした往年のディズニー・アニメの「夢」へのオマージュだし、実写になったあとのお掃除ソングは、ディズニー・アニメを実写(+CG)でやればこうなる、というパロディ。セントラルパークのプロダクション・ダンス(メイキングによると、おじいちゃん、おばあちゃんのなかには往年の「ウェストサイド物語」に出ていた人もいたらしい)など、観れば否応なく感動してしまうわけですが、改めて見比べると、ほんとうに「白雪姫」そのまま、ですね。21世紀になろうとも、これがディズニーなのだ、と。
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一方、ミュージカル映画、とくにフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの一連の作品のポイントは、お子様向けの全編にわたる音楽と映像の同期とは一線を画する、台詞芝居からダンス・シーンへの滑らかな移行。「大人」は四六時中歌って踊ってなどいられないのであって(笑)、音楽は、そんな醒めた大人を歌い、踊らせてしまう誘惑の技術。そして音楽による誘惑が、アステア(たいていダンサーを演じる)とロジャース(たいていクールな美女を演じる)の恋物語、アステアによるロジャースへの誘惑と同時進行する。そういう仕組みになっているようです。
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「コンチネンタル」(1934年)冒頭のレストラン・シーンで、アステアは、ダンサーだけれど、しかるべき理由がなければ、そう簡単にはタップを踏まない人物として登場します。
ところが、ジンジャー・ロジャースに一目惚れして、ホテルの自室で、彼女のことを想ううちに歌い出して、(1) 椅子に座っていたのが立ち上がり(しかも立ち上がる前に、一度だけ勢いをつけるように大きく身体を揺らして、カメラもこれを追いかけてグイっと動く)、(2) 着替えをはじめて、(3) 手でリズムを刻み、(4) 暖炉の前の狭い場所でタップを踏み、(5)遂には広いフロアで踊る。
そして彼女とのツーショットのチャンスをつかんで、「Night and Day」を歌い、二人だけの夢の時間へ入っていく……。
全体のストーリーも、歌やダンスのディテールも、芝居と歌・ダンスのつなぎめがスムーズになるように上品に仕上げられているのがわかります。ニコール・キッドマン(の吹き替え@「ムーラン・ルージュ」2001年)やジゼル姫(「魔法にかけられて」)が「スイッチ・オン」で歌い始めて、マリオネットのように見えるロブ・マーシャル作品とは別の美学。
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ちなみに、アステア&ロジャースのミュージカル映画では、マックス・スタイナーが音楽監督としてクレジットされています。ウィーン生まれで、「キング・コング」(*私は未見)や「風とともに去りぬ」や「カサブランカ」の音楽を担当した人ですね。コルンゴルト(コーンゴールド)と並んで、本来ならヨーロッパでオペラを書いていたはずなのにハリウッドへ渡ったクラシック系作曲家として知られる人です。
でも、映画音楽特集の定番「風とともに去りぬ」(1939年)はアフレコ(=post recordingを指す和製英語)です。
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「風とともに去りぬ」の、特に冒頭の数シーンは、まるでオペラのように細かく音楽が付けられていますが(男の子にちやほやされるスカーレット・オハラが表情を曇らせた途端に音楽が短調になったり、父親が馬で颯爽と帰宅すると、金管が三拍子系のリズムで弾んだり、「タラの誇り」に言及したところで有名なテーマ曲が壮大に鳴り響いたり)、オペラとは逆で、音楽は映像にあとから付けられています。どんな場面でも音にすることができるまでに爛熟したプッチーニ、シュトラウス以後のオペラ作曲家の職人技は、映像を撮ったあとから辻褄を合わせるために動員された。それが20世紀における「オペラ作曲家の運命」だった、ということでしょうか。
(「タラのテーマ」は、あの夕日に照らされるシルエットの映像とセットで神話のように私たちの記憶に刻まれていて、あたかも予めそのように定められていたような映像と音楽の神話的統合は見事。実際に観ればやっぱり感動的ですけれども。)
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しかし、どこまで熟達しても、彼らの作る音楽は、オペラ・アリアがそうであるように、「感情の言語」であって、画面上で躍動する「身体」にシンクロしているわけではない。
映像にぴったりの音楽を「付加価値」として提供する作曲家よりも、そんな「作曲家様」が用意した音楽の上で奇跡のようなタップを刻むフレッド・アステアの方が偉い。それが1930年代のハリウッド・ミュージカル映画。
特にアステア&ロジャースの作品群は、映像と音楽の同期/非同期、メロディー・感情/リズム・身体性、連続(ノーカット)と非連続(モンタージュ)……等々の様々な部品を精巧に組み合わせて、丁寧に分析されるべき品質に達した作品=商品=パフォーマンスだと改めて思いました。
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(岡田暁生さんは、「CD&DVD51で語る西洋音楽史」で「カサブランカ」を紹介していらっしゃいましたが、映画音楽をあくまで「西洋芸術音楽という大河」の終着点、大河が20世紀の海へ流れ込む河口であると見る場合と、映像と音楽が織りなす「20世紀の海」を溺れそうになりながらでも泳いでみようとするときでは、見え方が随分違ってくるようです。イングリット・バーグマンとか、「オペラの運命」のあとがきで言及していらっしゃった「フィッツカラルド」の丘に上がってしまった巨船とか、岡田さんは、案外鈍重なもの、動きの鈍いものがお好きなのかも。
なお、ハリウッド・ミュージカル映画というと反射的に名前が出る「雨に唄えば」(1952年)を、授業ではとりあげませんでした。ジーン・ケリーがマッチョな肉体でスポーティに押し切ってしまう様子は、物語が1930年頃のトーキー黎明期に設定されてはいるけれど、ちょっと違う。それに、真夜中にずぶ濡れでタップを踏むのは、アステアがシド・チャリシーと組んだ「バンド・ワゴン」(1953年)の見せ場が「暗闇で踊ることDancing in the Dark」であるのとともに、ノワールの1950年代という気がします。「オズの魔法使い」(1939年)で、いわば「実写版白雪姫」を演じたジュディ・ガーランドの波瀾万丈の生涯を考えても、1930年代の光り輝くミュージカル映画のステージは、その分、周囲の闇も深いのだなあ、と思います。)