雑感

今年も秋には文化庁の芸術祭があります。審査に関することは芸術祭終了後の報告書で公式に経過報告がなされるはずです。事前に内容を口外することはできません。

審査委員の名簿は、「芸術祭の手引」で公開されています。

http://www.bunka.go.jp/geijutsu_bunka/geijutsusai/21_geijutsusai_boshu.html

今年は音楽部門・関西の部の審査委員に、京都大学准教授の岡田暁生先生も入っていらっしゃいます。

      • -

まず、客観的に確認・検証できる事実を書きます。

岡田暁生先生は、1990年代後半に「音楽の友」に演奏会個別評を寄稿していらっしゃいました。その後、「読売新聞」大阪版で音楽評を担当して、現在は「朝日新聞」に寄稿。

「音楽の友」は東京の編集者から発注される仕事。「読売新聞」大阪版は、当時の音楽評担当は岡田暁生先生おひとり。「朝日新聞」の批評は、岡田先生が加わられた時点での他の寄稿者は、長木誠司さん、白石美雪さん、伊東信宏さん、片山杜秀さん。すなわち、朝日の他のメンバーは、三人の音楽学者と、お一人の近代日本思想史研究者という構成です。

何を示唆したいかというと、岡田暁生先生は、京都在住ですが、これまで、関西で積極的に音楽評論家を名乗っている人種とお仕事上で接点をお持ちになることは、ほぼ皆無であったということです。

従って、

アルテス・パブリッシング社から岡田暁生先生と片山杜秀さんが「21世紀の音楽批評」を語り合う対談本の刊行が告知され、先月は京都大学でお二人による特別対談が立ち見のでる盛況で開催されましたが、そこで披瀝される(された)であろう「音楽批評」についての諸々の所見は、関西で「音楽評論家」を名乗る人種の生態を具体的に知った上でなされたものではないであろうと予測されます。

繰り返しますが、以上は客観的に確認・検証できる事実を述べたのであって、そのことが良い/悪い、好ましい/好ましくない、そうでなくっちゃ/それでいいの、等々といった価値判断を含みません。

      • -

続いて、以下の数段落で書くことは、わたくし白石知雄の主観的な記憶とそれにもとづく感慨であって、客観的ではありません。すべての語句が、わたくし白石知雄の主観によって綴られており、一字一句すべてについて、わたくし以外の誰かがそれぞれのわたくしとは別の立場や文脈から疑念を差し挟むことがいくらでも可能な、「白石知雄の勝手な思いこみ」です。

1. わたくしは関西で「音楽評論家」を名乗らせていただいております(他人がこれを承認しているかどうかは、様々な意見がありうるでしょうけれど)。

2. より正確に言うと(といってもわたくしの主観に対する詳細な説明に過ぎませんが)、「京都新聞」に最初に寄稿した際、記事が出てみると肩書きが「音楽評論家」になっていました。肩書きについて、事前の相談はありませんでした。だから、私に「音楽評論家」の肩書きを付けたのは、当時の京都新聞音楽担当記者だった木村和男さんです(と当人は認識しています。他人がこれを承認するかどうか、様々な意見がありうるでしょうけれど)。

3. 肩書きが付いてしまった以上、お仕事はきちんとせねばならないと思って、今日に至っております。音楽学者の余技だ、と後ろ指をさされるようなことをしたら亡くなった木村和男さんに申し訳がたたない(やや浪花節)とかなり真剣にそう思っています。(もちろん、当人がそう思っているだけであって、他人がこれを承認すかどうかは……以下同文)。

      • -

そして最後に、はたしてこのような物言いが妥当なロジックであると承認されるものなのかどうか、判断がつきませんが、このエントリーの最初に書いた客観的に検証しうる事実と、今書き記したわたくしの主観的な思いを組み合わせてみます。

そうすると、今年の芸術祭審査委員会は、岡田暁生先生が、「関西の音楽評論家を名乗る人種」と同席して、同格で仕事をする事実上の最初の機会である、という「物語」を生成することができそうです。

そのような「物語」のなかの登場人物として、岡田暁生先生がどのようにお振る舞いになるか、「物語の話者」としてのわたくしは大いに期待と関心を抱いています。(もちろんこれは、芸術祭審査委員会の職務の遂行とは別次元の話ですが。そしてその具体的内容は今後も一切口外するつもりはありませんのであしからず。)

以下、芸術のお祭りに先立ちまして、慶賀の辞。

岡田暁生先生は、「音楽・芸術は生きる希望を与えてくれるか?」(『文学・芸術は何のためにあるのか?』所収)という文章で、「宗教共同体というものが今では壊滅し、芸術がその役割を替わって果たしている」という趣旨の主張をしていらっしゃいました。20世紀から脈々と続いている日本国の芸術のお祭り(芸術を毎年秋にお祭りする行事)の開催に岡田先生が参与されるのは、まことに適切な人選であると申せましょう。芸術の祭が、それにふさわしい人材を得たことを日本国民のひとりとして喜びたいと思います。

(近代社会が推進したのは政教の「分離」であって、宗教行為の撲滅ではもちろんありません。宗教共同体はせいぜい「変質」したのであって、「壊滅」はしていない。オバマ氏が聖書に手を置いて宣誓する姿が世界中継されたりする事実ひとつをとっても、「宗教共同体壊滅」発言は勇み足もしくは過剰すぎる誇張と言わざるを得ないとは思いますが。)

文学・芸術は何のためにあるのか? (未来を拓く人文・社会科学)

文学・芸術は何のためにあるのか? (未来を拓く人文・社会科学)

そしてアルテス・パブリッシング社から岡田・片山対談が出版された暁には、わたくしは、その書物の主張を、岡田先生の芸術祭審査委員ご就任以前の「過去の」言説として読み、先生が芸術祭審査委員として「関西で音楽評論家を自称する人種」との接触のなかで繰り広げられることになるであろう「その後」と比較するという読み方をすることになることでありましょう。こんな特権的な読者席を確保できるのは幸運の極み。楽しみであります。

(岡田暁生さんが芸術祭の審査を遂行なさろうとしつつあるときに「21世紀の音楽批評」に関する氏のご主張が世に問われるというのは、同じ審査委員会のメンバーのひとりとして、なんだか微妙なタイミングだなあ、と思わざるを得ないところはありますが、芸術祭は芸術の「お祭り」ですから、祭礼の夜の境内に夜店が出るようなものと考えればいいのでしょう。)

以下、お断り。

しかしもちろん、そのような読み方をした感想を仮に将来どこかで披瀝することがあったとしても、芸術祭の審査に関わる内容は一切取り除いた上でのことになります。結局のところ、芸術祭の審査というものの実際を知りたい、情報を得たいという動機でこのエントリーならびに今後のわたくしの言動をウォッチングいただいても無駄である、ということは、念のため、あらかじめおことわりしておきます。

文化庁芸術祭は芸術のお祭り。お祭りされるのは芸術と芸術家であって、実際に参加公演として繰り広げられる行事の周囲には、今回は参加していないけれども芸術に関わっていらっしゃる数多くの方々がおり、そうした方々があわせて顕彰されているのだと考えるべきでしょう。芸術という非日常の営みが、京都の祇園囃子、大阪の地車囃子のように日本国中を練り歩く。そういうイメージなのかなと、わたくしは思っております。収穫の季節に五穀豊穣を祝う「芸術の秋」ですね。

そして審査委員は裏方に過ぎません。審査はお祭りの本義にのっとり、粛々と執り行われなければなりますまい。「芸術祭は会議室で起きているのではない」のでありましょうから。

以上。雑感なのでオチはありません。