辻久子と大栗裕、貴志康一(中之島国際音楽祭2009 水都おおさか讃歌)

10/2の演奏会、中之島国際音楽祭2009の初日「水都おおさか讃歌」の解説です。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/nakanoshima2009-tsuji-hisako.html

大阪にまつわる合唱曲と、辻久子さんゆかりの大栗裕と貴志康一のヴァイオリン曲について書いています。

前半は大阪の歌のご紹介。

昔(といっても昭和30年頃)は、大阪城あたりの上町台地から淀川の天神祭の花火が見えたんだよ、という話を最近伺いまして、

高いビルで10メートル先すら見通せない現在とは違って、海や川を見渡すことができた頃の大阪をイメージすることが、最近、大阪市や大阪府が言っている「水都」の原点かもしれない、と思いながら作文させていただきました。

後半は辻久子さんと大栗裕、貴志康一の関わりについて。

故・花柳有洸さんの創作舞踊として作曲された「青衣(じょうえ)の女人」のエピソードなどをご披露させていただいております。

「淀の水車」は、1曲目が「わらべうたによる狂詩曲」にも使われている歌、2曲目が歌劇「夫婦善哉」にも使われている子守唄、3曲目は「三十石舟唄」、4曲目は「大阪俗謡による幻想曲」でおなじみにだんじり囃子と獅子舞囃子ですから、大栗裕の「耳で聴く大阪」(@片山杜秀)という一面を凝縮した詰め合わせセットだと思います。

解説には、大栗裕を後押した朝比奈隆や、辻久子さんのお父さん、吉之助さんも出てきます。

古参のガクタイ屋の辻吉之助さんが「若造」の朝比奈クンをどやしつけながら、娘の久子ちゃんを日コン優勝にまで育てて、そんな音楽家たちが活躍する朝日会館の舞台を、ブラバン少年の大栗裕が客席から見上げていた……。

戦後、大陸から戻ってきた朝比奈隆がオーケストラとオペラを始めると、社長連中や新聞社や放送局だけでなく、労働組合の皆さんまでもが鑑賞団体(労音←左翼的とされますが、いわゆる「うたごえ運動」とは別の由来・歴史をもつ団体です)を作って応援してくれて……。

そんな風に、個性豊かな人達が群像劇風にワイワイやっていたのが、関西(大阪)楽壇だったのかなあ、と思います。

いっちょやってやろう、という人たちがいたということでもあるし、裏方として多士済々をうまく結びつける交渉力に長けた人がいた、ということでもあるのでしょう。

同行二人、弦の旅 (なにわ塾叢書 (77))

同行二人、弦の旅 (なにわ塾叢書 (77))

ミューズは大阪弁でやって来た

ミューズは大阪弁でやって来た

キレイゴトばかりではなかったでしょうし、日陰に追いやられた人もいたでしょうけれども、でも、突出する者の足を引っ張る、いわゆる「ムラ社会」というのとは少し違うような気がしますし、ピラミッド型ヒエラルキーが厳然とある「ご城下」というのでもなさそう。

(そういえば、近代日本は「封建的」か「帝国主義的」か、という解釈対立がかつて左翼の運動理論にあったとも聞きますが、新左翼の若者たちが消費社会の論理を持ち出すに至り、解釈対立自体がなんとなく棚上げされて、市民運動からポストモダンを経て東浩紀クンに至る。で、結局「封建か帝国主義か」論争は、いったいどうなったのか。)

こういうのを「街場」というのかな、と最近よく思います。

街場の大阪論

街場の大阪論

戦前だと、辻久子さんが「天才少女」ということで巌本真理さんとライヴァル扱いされたり、最近だと、大阪の文脈はあんまり関係なく朝比奈さんが「巨匠」になったり。あるいは、大澤壽人のパリ仕込みのアヴァンギャルドぶりは美術で言えば岡本太郎に匹敵する(by片山杜秀)という言い方とか、東京的にはそういうロジックになるのは仕方がないのかもしれませんが、でも、単独で「一本釣り」すると、なんだかニュアンスが違ってくるような気がしてしまいます……。要するに、売れる商品さえあればよくて、彼らが属する関西の生態系には本質的に興味はないということなのだろうか、と。

(他所の人は大阪人をしばしば「がめつい」「えげつない」と言いますが、そんなステレオタイプを他者に貼り付けるとき、それが本当に客観的な判断なのかどうか。しばしば他人を見くだすときに人間が犯してしまうことですが、自分自身のなかのネガティヴな部分を他者に投影してしまっているところがないかどうか、つまり「がめつさ」や「えげつなさ」は、実は自分自身の陰画・鏡像になっていはしないか、一度は反省してみてもいいのかも……。)

だからといって、「大阪のことは大阪の者にしかわからない」という言い方もしたくない、というより、鹿児島生まれで「大阪の者」ではない私にはできませんし……。

「大阪的」をコナモン・コテコテといった観光言説一辺倒でなく、かといって身内のうなずき合いでもなく説明するやり方がきっとあるはずだと思っているのです。

まずは、事実をひとつずつ確かめていくところから。