軽佻浮薄なドイツ音楽(神戸日独協会ドイツ文化特別講座 「ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタについて」)

この秋は、3年目のしめくくりになったムラマツリサイタルホール新大阪のピアノ・リサイタル・シリーズ、あるいは、進行中の羽曳野市のはびきの市民大学もそうですが、紙やネットの文字の記録に回収できない、いわば「消えもの」系の仕事が続いております。

先週末は、神戸日独協会からのお招きで、「ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタについて」という講演をさせていただきました。

http://www.jdg-kobe.org/

神戸新聞松方ホールで、堀米ゆず子&エル=バシャのベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会第3回があるので、それにちなんで、というご依頼でした。演奏会は本日12/4です。

http://www.kobe-np.co.jp/matsukata/schedule/2009/1204.html

私は、(講演をやっておきながら……)この演奏会本番には行けないのですが、堀米&エル=パシャ、先日の京響定期もよかったと伝え聞いておりますので、是非。

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11/28の講演会は、震災で建て変わった三宮の新しい神戸国際会館での集まり。旧国際会館にあったドイツ領事館には留学前に学生ヴィザを取りに行ったなあ、とか、留学先のマインツは、ベートーヴェンの生地ボンと同じライン川左岸だったなあ、(さらに言えば、恩師・谷村晃先生は、還暦の年に、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲の分析を、当時先生が凝っていたパソコンで版下を作って本にしていらっしゃったなあ……)というようなことを思いだしながら、お話させていただきました。

最近のわたくしの関心事とは縁遠いような題目ですが、そんなわけで、学生時代のあれこれを思い起こさせてくれる話題であり、同時に、ヴァイオリンのロシアン・スクールとは何だったのだろう、というような、関西の洋楽史(深江文化村のロシア人たちが辻吉之助や貴志康一、服部良一や朝比奈隆や諏訪根自子を育てたわけですし)とつながりがないわけでもなく、先日、はびきの(前のエントリ参照)で北浦先生から教わったばかりの話なども披露させていただきました。

以下、レジュメです。

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは、シュパンツィヒなんかとやっていた弦楽四重奏とはスタイルが違う気がして、その社交性の背景をフランスへのベートーヴェンの関心(といっても革命の共和主義への共感に回収でいないような)に求めることはできないだろうか。そんな以前から抱いているアイデアをお話させていただきました。

19世紀初頭のドイツ語圏の音楽文化とフランスとのつながりは、ウェーバーのオペラなどでも話題になることで、普仏戦争以後のドイツとフランスを対比する言説(ドイツびいきは精神性においてこっちが優位だと主張して、フランスびいきはドイツ文化を恐るべき蛮行として受け流そうとする)にうんざりしてしまうわたくしは、この種の「19世紀初頭ドイツのフランスかぶれ音楽」、憧れや後進国意識が入り交じっていて、なおかつナショナリズム成立以前の、二番煎じを恥じる自意識がまだ成立していない軽佻浮薄な音楽が好きなのです。

(そういえば、先日、マンドリンの話をはびきの市民大学でやったときには、ベートーヴェンがウィーン貴族のために書いたマンドリン曲というのも紹介させていただきました。フランスかぶれ、とは別の話ですが、そういうのもあるのです。)

あと、ウィーンとかベルリンとか、東欧・中央ヨーロッパ寄りの都市を中心にドイツを語ることが多いけれども、ライン川流域の丘にぶどう畑が広がる村々は様子がずいぶん違いますし、自分がそのあたりに留学していたこともあって、「ラインの人ベートーヴェン」という見方をしてみたい、というのもあります。(ライプチヒ生まれのメランコリックなシューマンだって、ライン川沿いのデュッセルドルフへやってきて熱に浮かされたようにライン交響曲を書いてしまったわけで、それくらい、ライン川流域は土地柄が東方とは違う。関西に住んでいるわたくしは、何かにつけて「西」に肩入れしてしまうのかもしれません。^^;;)

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●ドイツ文化特別講座 「ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタについて」

ヴァイオリン音楽におけるフランス、ドイツ、東欧

2009年11月28日 白石知雄

  • 「楽聖ベートーヴェン」「ドイツの巨匠3大B」は普仏戦争(1870-1871)以後の考え方。
  • ベートーヴェンのヴァイオリン音楽は「国際的」に開かれていた。

1. 西のライン川(ボン)と、東のドナウ川(ウィーン)

Ludwig van Beethoven (1770-1827) ボンから1792年(22歳)でウィーンへ

  • ライン川:ローマの遺跡と大聖堂、ワイン、謝肉祭Fastnacht。オランダ(ベートーヴェン家の祖先の地)からイギリス、フランスへ
  • ドナウ川:ウィーンからブダペストを経て黒海へ

2. ヴァイオリンにおける西ヨーロッパと東ヨーロッパ

20世紀:ロシア楽派(L. アウアー門下)とフランコ・ベルギー楽派(U. イザイ門下)

  • ♪エルマン(シューベルト「セレナード」)とイザイ(メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」)
  • ♪ギドン・クレーメルとオーギュスタン・デュメイの「クロイツェル・ソナタ」

18世紀:村の楽師のヴァイオリンと国王陛下のヴァイオリン

  • ♪ハイドンの弦楽四重奏曲op.3-5とベートーヴェンの弦楽四重奏曲op.132第4楽章
  • ♪G. B. ヴィオッティ(1755-1824)とベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲

3. 「新進ピアニスト」ベートーヴェン

ヴァイオリン・ソナタ全10曲のうち8曲は、ベートーヴェンの初期ピアニスト時代の作品

  • ♪ヴァイオリン・ソナタ第3番op.12-3とピアノ・ソナタ第7番op.10-3
    • どちらも作曲は1798年。3曲セットの3曲目、ピアニストとしての最盛期。
  • ♪ヴァイオリン・ソナタ第5番op.24とピアノ・ソナタ第11番op.22
    • 1800/1801年、ピアニスト時代の集大成。第4楽章は類似、第1楽章は好対照。(同じ気分の音楽を楽器ごとに書き分ける、楽器の個性・特性の意識の芽生え?)

4. 名ヴァイオリニストたちとの出会い

  • 1798年 R. クロイツェル(1766-1831)との出会い。→ ソナタ第9番の献呈
  • 1803年 G. ブリッジタワー(1778-1860)のためにソナタ第9番を作曲 ♪ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番op.47 第2楽章
  • 1812年 P. ロード(1774-1830)のウィーン訪問時にソナタ第10番を作曲

George Bridgetower (1778-1860)

  • 黒人(アフリカ生まれか?)とポーランド人女性の間に生まれる。
  • 1803年にウィーンを訪問してベートーヴェンと意気投合。
  • アウガルテン庭園の演奏会でヴァイオリン・ソナタ第9番をベートーヴェンと共演。
  • (その後仲違いしたため、作品はブリッジタワーではなくクロイツェルに献呈された。)