世界文学とワールド・ミュージック(ディヴィッド・ダムロッシュ『世界文学とは何か?』)

[7/10 最後に短い追記あり なお、最初の書き出しだけを読んで、年寄りの若者への小言であるとか、あるいは、学会というものへの過剰な期待ゆえの厳格すぎる詮索がダラダラ書いてあるのだろうと思う人(そうであってくれないと情報処理が滞ってメンドクサイので、無理矢理にでもそういうことにして済ませたい人)がいるようですが、全然そんな話ではないですから念のため。ここで書いているのは、「世界」を舐めるのは「知ったかぶり」の最たるものだし、結局それは自分にはね返ってきて、あとで困るんじゃないの、というような、程よく気の小さい常識的な世間話です。慌てないように。はっきり言わないだけで、同じようなことを思ってる人はたぶん他にもいると思うし。]

2008年の日本音楽学会全国大会のラウンドテーブル「「世界音楽」再考」の記録より。

[吉田寛] 学会で「世界音楽再考」という議論をするのは日本的なことか。
〈輪島(裕介)〉 日本的な現象だ。
[伊東(信宏)] 世界音楽学という日本固有の学問ができるかもしれない(笑)。(『音楽学』第54巻2号、149頁)

電脳のソーシャル・ネットワークで頓智合戦をしているんじゃないんだから、と読んで嫌な気持ちになったのですが、

私事ですけれど、私は、ここ数年、会費納入が遅れがちになっていて、当該年度分の会費振込と引き替えに同誌が手許にとどいたのは発行の2年後で、郵便物の山から発掘して読んだのは今年の4月になってからです。(その後、滞納分ならびに今年度分を全額耳を揃えて振り込みましたので、今は、学会に対して何ら「貸し借り」のない立場であると認識しております。)

そしてこの文章を読んだ直後に、こういう本が出たのを知りました(原著刊行は2003年)。

世界文学とは何か?

世界文学とは何か?

  • 作者: デイヴィッド・ダムロッシュ,秋草俊一郎,奥彩子,桐山大介,小松真帆,平塚隼介,山辺弦
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2011/04/27
  • メディア: 単行本
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本のタイトルを見た瞬間に、ああたぶんこれだな、と思いました。world musicの議論を風通しのいいものにしようと思ったら、おそらく、文学への扉を開いて、world literatureの語と対比するのがいい。だって比較文化論では、音楽よりも文学のほうが歴史も人材もノウハウも豊富な「先輩」であるに違いないから。

ということで、購入して、ざっと眺めてみました。

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「世界文学全集」という名前の翻訳作品集がいかにナショナリズムのバイアスを受けているか、という、カルスタ好みのトピックも押さえてありますし、

比較文学だから言語ごとに縦割りされた国民文学史を横断するのは当然なのかもしれませんが、

考古学の範疇に入りそうな古代文字の解読や、異国趣味に囲い込まれそうな東洋の文学、政治と文学という話が出て来そうな南米やバルカン半島の文学を、母語と外国語と翻訳が入り乱れる空間という視点で一望してしまう構想が、(比較文学としてどの程度正当で凄いことなのか、乱暴な力業なのか、私には判断できませんけれど)刺激的な着想に思える本でした。

ゲーテが Weltliteratur という言葉を造ったこと(を紹介するエッカーマンの本)から説き起こして、パヴィチ『ハザール事典』へたどりつくまでに、訳書で500頁。到底読み切れていませんが、とりあえず、終章の要約を書き出してみます。

2000年代に書かれた本なのだから当然ですが、世界文学といっても、ヘーゲルの「絶対精神」の亜流みたいな普遍性の高みを構想しているわけではなく、「世界」をとても世俗的で雑多な場所だと見ていることがわかる提案だと思うのです。

世界とテクストと読者に焦点をあてた、三重の定義を提案したい。

一、世界文学とは、諸国民文学を楕円状に屈折させたものである。
二、世界文学とは、翻訳を通じて豊かになる作品である。
三、世界文学とは、正典[カノン、のルビ]のテクスト一式ではなく、一つの読みのモード、すなわち、自分がいまいる場所と時間を超えた世界に、一定の距離をとりつつ対峙するという方法である。(432頁)

「一」は、世界文学の立ち位置みたいなものを言っていて、世界文学は、国民文学の概念を前提しつつ、それと対立したり、協調したりするもうひとつの焦点であるというイメージでしょうか。この500頁の本の全体が、こうした2つの焦点の間の斥力・引力の諸相を概観する試みであったということになりそうです。

例えば春秋社の「世界音楽全集 Gesammelte Werke der Weltmusik」が西洋音楽と日本の洋楽から成っている(ゴチェフスキ氏の指摘)という話も、このモデルであれば、妙な劣等感や日本特殊論に迷い込むことなく、「世界文学/世界音楽」という概念は今も昔もそういうもんだ、ということで済むのではないか、と思います。

「二」は、いわば、世界文学が成立するメカニズム。世界文学は世界の多様な言語で綴られた書物を一望しようとする欲望ですが、世界のあらゆる言語に精通する読者などという怪物は事実上存在しませんから、「翻訳」なしには成立しない、ということですね。少し前に、民族音楽学で、相対主義への修正・補足案として「文化触変」とか「脈絡変換」がさかんに言われていましたが、他の文化に「触れて」、「脈絡変換」が盛り上がらなければ、当該事象は「世界[文学|音楽]」に登録されない。これもまた、大げさな新しい認識というより、「そういうものだ」ということだと思います。(「全米が震撼」しなければ、その現象はアメリカからみた世界に存在しないことになる。ただし、「全米が震撼」と日本語で語ることは、日本から見た世界の話であって、だから、「Anthology of World Music」と「世界音楽全集」の内容は違ってくる。あったり前にみんなが知ってる話ですよね。そして「レゲエは世界を制した」と日本の話者が言うときの「世界」はどの世界なのか、というのも実はなんだかよくわからない。そのことに悩んだり、そこに「問題」を見いだすのもいいけれど、「世界」(というか「世の中」でしょうか)はそんなもんだよね、ということなのでしょう。とりあえず。)

日本のポピュラー音楽や民謡が、ハワイやブラジルの文脈に「翻訳」されて別の意味を帯びるのは、「世界音楽」の概念に「再考」を促す知見というより、「世界音楽というのは、もともと、そういうところからはじまるのだ」ということのような気がします。

そして、その「世界音楽ってのは、肩をいからせて議論しなくても、最初っからそういうもんじゃないの」という態度が、「三」の「読みのモード」ということになるのではないかと思います。

「源氏物語」の英訳に詳細な注釈を付けて、日本の平安王朝文化のコンテクストを参照しながら訳文を解読するというような作業は、「世界文学」としての可能性をむしろ制限する重しになりそうです。英語で源氏がどのように読まれているのか、私は具体的なことは何も知りませんけれど……。

音楽でも、たとえば、「ド・ミ・ソ・ラ」という階名でソルフェージュ可能な音の並びを、長三和音への6度の付加、として調的和声のシステムに回収するとそこで話は終わりだけれども、「ひょっとしたら、これって五音音階?」という聴き方をすると、そこから別の連想を広げる入口になりうるわけで、そうした連想の先にあるのが「原ヨーロッパとしてのケルト」なのか、中国音階にたどりつく東方の響きなのか何なのか……、とにかく、tonalとmodalは、音楽聴取における「構えの差」なのだと思います。

音楽用語としてのモードは、主としてこうした音のイントネーションの「訛り」(特徴的な音程、として捕捉できるような)を指しますが、音(楽)のどのような属性(もしくは「聴きなし」)が「自分がいまいる場所と時間を超えた世界」への連想のトリガーになるか、というのはケース・バイ・ケースですし、人はそう簡単にこういう「聴きなし」ゲームを止めたりはしないし、日本特殊論は関係ないのでは、という気がします。

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学会のラウンドテーブルに話を戻すと、

「「世界音楽」再考」という大きなテーマを掲げている一方で、想定するのが20世紀末の日本の音楽産業のバズワードとしての「ワールド・ミュージック」であることが象徴的だと思うのですが、

「民族音楽学」にしても「文化相対主義」にしても「グローバルなマーケット」にしても、使われている言葉は一般名詞なのに、それぞれの話者が言外に想定しているのが、学会の○○先生の主張であったり、六本木や渋谷の××というショップの売り場の光景であったりすることが、あまりにも露骨に透けて見える気がしました。冒頭の吉田・輪島・伊東の連係プレイ的な会話は、かつての○○先生たちの学会での発言にうんざりしたり、「ワールド・ミュージック」に踊った過去を持つ国に自分が住んでいることへの自己嫌悪みたいなものがにじんでいるのだと思います。(そしてもしかすると、同時にこれは、このようないかがわしい話題を学会でやるのはいかがなものか、と軽く周りを制してみせる旧帝大エリートの伝統芸が、ソフトで自虐的なウィットに包まれたポーズへ進化したと見ることもできるのでしょうか? あるいは、若い衆が太鼓を叩くのを見て、お殿様が表情を緩めた、ああこれで「接待」は上手くいった、ほっと一息、みたいな光景なのでしょうか。)いずれにせよ、こうして言外に具体的なあの人やあの場所を想定するゲーム(そのものずばりを名指すと終わってしまうような)であることが、顔なじみのあつまる学会の、閉じた空間での会話の盛り上がりの契機になっているのでしょうけれど、活字になった記録として読むと、議論を抽象化・一般化するバネが緩いように思ってしまったのです。頓智合戦もしくは大喜利?というのは、そういう意味です。言外の当てこすりに依存する度合いが強すぎるように思いました。

「世界音楽」は何ら日本に特有のトピックではなさそうな気がしますが、ここでの議論を支えているゲームのルールや、参加者が依拠している参照データベース(この概念を聴いたらあの先生を連想すべし、みたいな(笑))は、ひょっとすると、日本音楽学会ローカルかもしれないですね。いわゆる内輪ウケというのでしょうか。

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それからもうひとつ疑問なのは、どうして「世界音楽」の語が、主として大衆音楽の枠内で議論されてしまうのだろうか、ということです。

音楽は、楽器などのモノや、概して流れ者であることの多い音楽家というヒトとともに、概して極めて安直に文化の境界を越えてしまう。「音楽の翻訳」は、総体として「文学の翻訳」よりも簡単かつ安直で、それは最近になってそうなったのではなく、昔からそういうものだったような気がします。デジタル情報機器の開発によって一挙に世界が狭くなったという論調は、音楽に関しては怪しいのではないかと思うのです。(グローバル化は、大衆化の副産物であって、その逆ではない。音楽・文化の大衆化が20世紀初頭から先行して遂行されていなければ、たとえ情報のデジタル化がなされたとしても、ここまでの「グローバル化」は起きなかったのではないかと思います。そしてそれは、音楽における「世界」の表象がどのように成立しているか、という話とはちょっとズレるのではないか。)

そのあたりを整理せずに、いきなり民族音楽学の「世界音楽」論と、音楽産業の「ワールド・ミュージック」戦略から話を始めるから、話題が近視眼的で広がりを欠くことになるのではないかという気がします。

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とはいえ、比較文学者の世界文学概念をそのまま音楽に適応するのは癪ですし(笑)、ダムロッシュの本を読んでいると、その博識振りがちょっと窮屈にも感じました。彼の想定する「世界文学」は、書斎にこもって、膨大な書物を朝から晩まで読みふけっている「活字の虫」を連想させるからです。

Weltliteraturの語は、ダムロッシュによるとゲーテの造語であるらしいのですが、この概念・観念が人口に膾炙するうえでは、書斎の読書とともに、多彩な出し物を舞台化する劇場の役割が大きかったのではないか、という気がするんです。ゲーテ自身も劇作家ですし……。

少なくとも、音楽家が「世界文学」に取り組む有力な契機は、長らく劇場の音楽、オペラやバレエだったわけですよね。そして劇場の音楽家たちは、古今東西の物語を舞台化するために、「諸民族の音楽」(まだ「世界音楽」の語はなかったそうですが)を探索することにもなりました。音楽学会のラウンドテーブルで、「world music」の語の初出とされているのは1960年代の民族音楽学ですが、各地の植民地からの収集品(エジソン式蝋管以来の録音を含む)を集めた博物館が「世界」をイメージする有力な場所になる以前には、劇場が「世界への窓」であったような気がするのです。

(そして劇場に「世界」を見るさらに前の段階は、マレビトやトリックスターが機能する儀礼・祭祀の場が人々に「世界」を体感させた、というようなことになるのでしょうか。ラウンドテーブルでハワイの盆踊りの事例が紹介されていましたが、祭礼は、意味を生成したり、流入したものの脈絡を変換する強力な磁場なのでしょう。)

ラウンドテーブルでは概して悪役扱いされている「グローバル・マーケットのワールド・ミュージック戦略」は、音盤を売るショップ&それを再生する家庭のリスニング・ルームという場所が、先代の「世界の窓」であった近代の博物館(ラウンドテーブルでアリソン時田さんの発言が他とかみ合っていないのは、「世界音楽」のイメージが博物館の収蔵品の組み合わせの段階に固着しているからだと思う)や、先々代の「世界の窓」であった近世の劇場や各種祭礼と比較した場合にどのような特性をもっているのか、というような大きな枠組みを想定すると、「世界文学」の話の向こうを張りつつ、書斎に引きこもるのではなく風通しのいい話に展開できそうな気がするのですが……。

[追記]

それに、ラウンドテーブルの記録では、バズワードとしての「ワールド・ミュージック」は誰もが当然知っているもの、いまさら検討するまでもない既知のこととして話が進んだみたいに見えますが、それでいいのかどうか。それでは、「ロックといえばビートルズとローリング・ストーンズで反抗する若者文化だ」とか、「演歌は日本の心だ」となんとなく決めてかかって事を進めたとされる全共闘世代と同じではないのか。

「ワールド・ミュージック」は80年代から90年代初頭の微妙な時期の騒動だったのですよね。ウィキペディアでは1982年以来のヨーロッパでの「World Music Day」が紹介されていますが、ブルガリアの合唱とか、ロマとか、クレズマーということを考えると、東側の社会主義がそろそろダメになりそうだというときに、政府公認なのか非公認なのかよくわからないものが色々と壁の西側に流れてきて、それらが商品化された現象だったようにも思えます。スペインからどういう音楽が外へ出てくるかということも、仔細に調べると独裁政権からあと国情が変わっていくのと無関係ではないように思いますし、南米やアフリカの国々にもそれぞれの事情がありそうです。今改めて「ワールド・ミュージック」とは何だったのかを総括するのは、逆に結構面白かったりするのではないのでしょうか?

2000年代になると、商品にならないような映像がコンピュータ・ネットワークで飛び交っていて、業界の収益構造も変わりつつあるようです。輸入代理店のネットワークが制御する冷戦末期型ワールド・ミュージックは、始点と終点のある歴史上の「エポック」として切り出すことができそう。ワールド・ミュージックを忌まわしい記憶として嫌悪している場合ではなく、まさに今こそ「歴史」を検証する学者の出番なのでは?

80年代というのは、もはや30年前の「大昔」(笑)なのですから。