長い名前の指揮者と長い名前のオーケストラによる図形楽譜の電子音楽みたいなブルックナー

[10/23 追記あり]

ブルックナー:交響曲全集(全11曲)

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スクロヴァチェフスキとザールブリュッケン・カイザースラウテルン放送響で、ブルックナーの「ロマンティック」。

この60年代っぽい感触は何なのだろう、と聴きながらずっと考えていて、図形楽譜と電子音楽かもしれない、と思い至りました。

「A地点からB地点のクライマックスまで一直線に音量を増大。」「ここのトランペットの付点リズムは、ワゥワゥワゥと波がうねるようなサウンドで。」

というように、この指揮者は、五線譜に書かれたブルックナーのスコアを方眼紙上の図形楽譜に脳内でトランスクリプションして設計しているのではないか、と思ったのです。(グラフ表示で作曲したものを五線に転記した湯浅譲二のオーケストラ作品の逆ですね。)

湯浅譲二:ヴァイオリン協奏曲

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未聴の宇宙、作曲の冒険

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奏者の息づかい、とか、人間臭さ、というのは捨象して、音型αと音型βの両方が確実に聞こえる奇跡のミキシング・ポイントを見つけ出す。そしてここの複縦線で、設定を総入れ替えすることでサウンドを一変させる。そんな風に細部までこだわりのチューニングを施し続けるブルックナーだったような気がします。

焦点を当てたいパートをサイン波みたいな棒吹きで目立たせる手法も、なんだか電子音楽っぽいですし、ゴォォォォォォォォォォォと押し寄せてくるコードは、フォルティシモといったイタリア語の最上級で形容するより、dBで表記される「音圧」が問題になっている気がしました。彼の指揮ぶりは、アナログ・シンセのコンソールの前で無数のツマミを操作しているみたいですし。

1923年代生まれで戦後前衛音楽の洗礼を受けて、最新鋭シンセのように高性能な北米オーケストラで長く仕事をしていたキャリアが、こういうスタイルを作ったのかな、と思いながら聴いていました。

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でも、不思議なことに、そうした現代音楽好きとは程遠い感じの方々の間で、彼は「巨匠」として圧倒的に支持されているんですよね。

ひとつには、直線的な加速・減速とか、急ブレーキをかけるときに一呼吸置くやり方とかが、今ではあまり他に類例のないアナログLP時代のスタイルで、現役世代とも、上の世代の朝比奈隆やカラヤンやヴァントとも違っていて、1930年代40年代生まれをピンポイントで狙い撃ちするのかなあ、と思います。

そしてもうひとつ、ひょっとするとスクロヴァチェフスキにとって、古典的なレパートリーを指揮することは、「音楽のチューリング・テスト」なのではないか、ということ。

情報科学・コンピュータ研究で知られるアラン・チューリングが、ある機械に知性を認定できるかどうか(=その機械が人工知能であるとみなせるかどうか)を判定するテストを考案して、これがチューリング・テストと呼ばれていますが、スクロヴァチェフスキは、ゴリゴリに前衛的で徹頭徹尾人工的な発想にもとづく演奏設計が、聴衆に人間的感動を呼び覚ますことができるかどうか、という人工知能めいた実験をしているような気がするのです。

視覚表現では、二次元美少女に恋をする、というのがあるらしいですが、実際、CGで作成された図像が妙に艶めかしい、ということはいかにもありそう。

あと、電子的に合成されたサウンドが乾いてゴツゴツして融通が効かないものであるとは限りませんし、50年代60年代のテープ音楽にはデジタル時代とは違った手作りの暖かみがある、という説があるらしい。それにもしかしたら、舞台裏を知らせずに聞き比べしたら、そこらのナマ歌よりも、ヴォーカロイドで合成した歌声のほうが魅力的である、と考える人が少なくないかもしれませんよね。

スクロヴァチェフスキという人は、どうも、そういう壮大な実験を仕掛けているような気がします。この人は、指揮者界の富田勲なのではないか? 彼が作り出すブルックナーは、そこらの人間よりも人間的なロボットとして戦後世代が夢見た未来の姿、鳴り響く鉄腕アトムなのではないか?

[10/23 追記]

随分前にチッコリーニを聴いたときにも思ったのですが、

最近は、高齢でも老成しない一群のアーチストが映画でも音楽でも一定数いらっしゃるように思います。そういう方々を「この年齢でボケていない」という語法で誉めるのは、言葉が現象に追いついていないことになりそうだなあ、という気がしております。

私は、「戦後のモダン・アートを経験した人は老化しない」という説で、スクロヴァチェフスキはその好例(高齢の好例……ダジャレご容赦)ではないかと思っているのですが、どうなんでしょう?

たとえば日本の指揮者で言えば、岩城さん(1932年生まれ)は意外に古風な人で、最後は憑き物がすべて落ちたような「おじいちゃん」になったけれど、外山さん(1931年生まれ)はちょっと違うタイプの80歳ではないかと。

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そしてさらに考えていくと、逆に坂本龍一がやっている「スコラ」という番組は、「結局、音楽の Common Practice は盤石だよね」というように、反前衛こそがエコだ、という含みがあって、むしろ、中年の老化を促進するのではないか、という気がします。

1950年代60年代生まれが本物の老人になる数十年後には、このあたりの層が滞留して、社会問題化するのではないか。(あの番組は、出演者の「白髪率」が年齢に比べて異様に高いですし……。NHKは、元気なハゲを人選するべきではなかったか(暴言失礼!)。)

キビキビ動く老人になりたいものです。

Common practice music can be contrasted with the earlier modal music and later atonal music. It can also be contrasted with twentieth-century styles, such as rock and jazz, that are broadly tonal but do not obey the harmonic and contrapuntal norms described in the preceding paragraph. Nevertheless, there are often significant similarities between the music of the common practice period and the broadly tonal music of the twentieth century.

Common practice period - Wikipedia, the free encyclopedia

↑こういうグチャグチャした説明を読んでいると、いかにも、脳が不活性な感じがするじゃないですか。^^;;

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