ドイツのユダヤ人音楽家

オットー・クレンペラー――あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生

オットー・クレンペラー――あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生

ヴァーグナーと反ユダヤ主義 「未来の芸術作品」と19世紀後半のドイツ精神 (叢書ビブリオムジカ)

ヴァーグナーと反ユダヤ主義 「未来の芸術作品」と19世紀後半のドイツ精神 (叢書ビブリオムジカ)

クレンペラーの評伝は、著者が住むケルンでの活動が詳しく書かれているのもさることながら、プラハのゲットーに遡るクレンペラー家の来歴や、ハンブルクのユダヤ人名門出身の母方の家系を紹介した最初の部分が私には印象的でした。19世紀や20世紀前半のドイツのユダヤ人の方々は、具体的にどういう場所でどういう境遇に置かれていたのか、ゲットーを出たのちにも緊密であったし、そうであらざるを得なかったと思われる「ユダヤ人コミュニティ」の一端を覗いたような気がしました。

そして『ワーグナーの反ユダヤ主義』でも言及されている歌手兼劇場経営者のアンジェロ・ノイマンは、ワーグナーの指輪をライプチヒで上演して、その後、移動劇団による「指輪」巡演を実現したのち、プラハの新ドイツ劇場初代支配人だったんですね。若き日のマーラーを楽長として招いたり、マーラーの紹介で駆け出しの頃のクレンペラーを副指揮者に採用したりしていたようです。

だとしたら、このアンジェロ・ノイマンの出自はどのようなものだったのか。

Angelo Neumann (* 18. August 1838 in Stamfen; † 20. Dezember 1910[1] in Prag) war ein deutscher Sa¨nger (Baritonsa¨nger) und Theaterintendant.

Neumann begann seine Bu¨hnenkarriere 1859. Ab 1876 war er in Leipzig Operndirektor. Seine A¨gide begann mit einer Lohengrin-Inszenierung; es folgten weitere Wagneropern sowie Auffu¨hrungen von Verdis Aida und Bizets Carmen. 1882 veranstaltete er einen Christoph-Willibald-Gluck-Zyklus. Er inszenierte in Berlin den Ring des Nibelungen und wurde spa¨ter Intendant des Prager Deutschen Theaters.

Angelo Neumann – Wikipedia

『ワーグナーの反ユダヤ主義』は、「ヴァーグナーとユダヤ人との交友」の章で、ノイマンのほかにカール・タウジヒ、ヨゼフ・ルビンシュタイン、ヘルマン・レヴィを取り上げていますが、ワーグナーがこうしたユダヤ人の知人友人に何を言ったか、何をしたか、というワーグナー側からの話だけでなく、それぞれがどういう場所でどういう境遇を過ごしてワーグナーと知り合うに至ったのか、概略のポイントだけでもいいので知りたい、と思ってしまいました。

天国と地獄―ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ (ちくま学芸文庫)

天国と地獄―ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ (ちくま学芸文庫)

時代を遡ると、オッフェンバックの出自はクラカウアーが詳細に記述していますが、マイヤベーアの母アマリエ・ベーアのサロンはメンデルスゾーン家と並んでよく知られたベルリンのユダヤ人サロンだったようですし。

Amalie Beer (* 10. Februar 1767 (nach anderen Quellen 1772)[1] in Berlin; † 27. Juni 1854 ebd.) war eine deutsch-ju¨dische Salonnie`re in Berlin und Mutter des Komponisten Giacomo Meyerbeer.

Amalie Beer – Wikipedia

音楽サロン―秘められた女性文化史

音楽サロン―秘められた女性文化史

パリにも支店があった楽譜出版のシュレジンガー/シュレザンジェのことも気になります。

Adolf Martin Schlesinger (zuna¨chst Abraham Moses Schlesinger, * 4. Oktober 1769 in Su¨lz in Schlesien; † 11. November 1838 in Berlin) war ein deutscher Musikverleger und Musikalienha¨ndler.

Das Emanzipationsedikt zur Integration des preussischen Judentums war ein Wendepunkt im Leben des bereits 40-ja¨hrigen Schlesinger. Es versetzte ihn in die Lage, im Jahre 1810 offiziell eine Buch- und Musikalienhandlung in der Breiten Strasse Nr. 8 zu ero¨ffnen.

Adolf Martin Schlesinger – Wikipedia

感情教育〈上〉 (岩波文庫)

感情教育〈上〉 (岩波文庫)

主人公が心を寄せるアルヌー夫人は、モーリス・シュレザンジェの妻エリザ・フーコーがモデルだとされている。

Maurice Schlesinger (* 30. Oktober 1798 in Berlin; † 25. Februar 1871 in Baden-Baden; eigentlich Moritz Adolph Schlesinger) war ein deutscher Musikverleger.
Biografie [Bearbeiten]

Maurice Schlesinger wurde als Mora Abraham geboren. Er arbeitete im va¨terlichen Unternehmen von Adolf Martin Schlesinger und besuchte, als eine seiner wichtigsten Unternehmungen jener Zeit, 1819 Ludwig van Beethoven im Auftrag seines Vaters. 1821 ging er auf Gescha¨ftsreise nach Paris, blieb dort und nannte sich forthin Maurice.

Maurice Schlesinger – Wikipedia

ワーグナー (作曲家・人と作品シリーズ)

ワーグナー (作曲家・人と作品シリーズ)

(日本語では、モーリス・シュレザンジェがワーグナーの評伝に無名時代のパリでの忌まわしい思い出を彩る人物として出てくる程度で、このあたりの人たちはあまり主題的に語られていない印象ですが、ドイツではそれなりに関心を持って情報が整理されているようで、この内外の情報の落差は、輸入学問を志す方にとって格好のネタなのでは?とも思います。)

一口にドイツのユダヤ人といっても、ラテン世界から来たセファルディムと東方からの移民アシュケナジムの意識や立場の違いという話は、アドルノ伝にもフランクフルトの事例がちょっとだけ出てきたと記憶しますが、デリケートな問題が色々あって、そうしたことと絡まり合いながら、ワーグナーの反ユダヤ主義という問題があるんでしょうね。

アドルノ伝

アドルノ伝

「ひとつの民族がひとつの地域に集まってひとつの国を作るのが正常な状態である」という単一民族単一国家観のせいで、愛国心の問題と民族のアイデンティティの問題と人種差別問題が解きほぐしがたく絡まり合っていたひと頃に比べると、問題を切り分けて扱うことがやりやすくなった気がするのですが、

「ドイツのユダヤ人」(ホロコースト以前の)というお話を著名な知識人から音楽家たちまで広げたうえでワーグナーの言説と突き合わせるのは先の先。「日本のワーグナー学」の風通しがよくなるには、まだ時間がかかるのでしょうか……。

日本のマラーノ文学

日本のマラーノ文学

クレンペラーの母方はスペインから来たセファルディムだそうなので、四方田犬彦が一時期書いていた「マラーノ」の問題ともかすかにつながりそう。

ヴェネツィア  水上の迷宮都市 (講談社現代新書)

ヴェネツィア 水上の迷宮都市 (講談社現代新書)

そしてゲットーという語の由来はヴェネツィアだそうですね。「ヴェニスの商人」。

ユダヤ人コミュニティの広がりを考えると、なるほどドイツからやって来たオペラ志望の若き日のワーグナーが鼻であしらわれたのも、わかるような気がします。私は、ワーグナーが彼らをどう見ていたか、ということよりも、彼らがどのような人々であったのかということのほうに、はるかに強い興味があります。

[付記]

『ワーグナーの反ユダヤ主義』という本の感想を簡単に。

著者の鈴木淳子さんは、このテーマに時間をかけて取り組む使命感のようなものを感じていらっしゃるようで、もしこの「使命感」がなかったとしたら、この本は、反ユダヤ主義の何が悪いのかと居直る人から「今さら余計なことを言うな」と反発を浴びて、反ユダヤ主義を未だ十分に克服されていない問題と考える人からは、批判的な視点が足りないという批判を浴びて、四面楚歌で目も当てられないことになったかもしれないと思います。

そして著者がこれを書かねばならないという「使命感」を感じることができたのは、「ワーグナーがこんな人だとは知らなかった、ワーグナーの作品をこんな風に解釈できるとは今まで思ってもみなかった」という風に、著者が素朴に驚き、知らなかったことを発見しながら書いている(という風に読める愚直な書き方になっている)からだと思います。

だから、これが辛うじて本として成立していることは理解できるのですが、

でも、著者に共感・賛同はできなかったです。

だって、今さら逐一こと細かに確認しなくても、ワーグナーは悪辣なところのある人間なのだろうと、普通は思いますよね。そして19世紀は、グロテスクなロマン主義とか、醜の美学とか、「悪の華」ですから、文学でも美術でも音楽でも、清廉潔白では片付かない悪を含むものだというのは前提で、そのつもりで接近する領域だと思うのです。

音楽の国ドイツのナショナル・アイデンティティを論じる人の場合もそうですが、

「大学という象牙の塔には、こんなことも知らない世間知らずで心のきれいな人がいるんだ」

という風に思わないと読めない本というのはどうなんだろう、と考え込んでしまいました。

実際の著者がどういう人なのか、装っているのか本当にそういう感じの人なのか、よくわかりませんが、「心が無垢であるかどうか」ということは、本来、学問とは関係ない。大学は、人材をふるいにかけて、パルジファルを捕獲・保護するために存在しているわけではないと思うのです。こんなに素直に「悪」を前にしてたじろがない愚者(←パルジファルの話をしている以上、批判ではないです)がいるんだ、というのは、商品価値はあると思いますが……。東大駒場は浮世離れしているんだなあ、と。

そしてそのような方々が、芸術世界におけるのみならず、現実世界においても何事にもたじろぐことのない愚者であり、癩病患者の膿を自ら啜ったと伝承される光明皇后や説経節「小栗判官」の照手姫のような心の持ち主なのだとしたら、それにまさる結構なことはない、と思いますが。

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

ユダヤ人 最後の楽園――ワイマール共和国の光と影  (講談社現代新書 1937)

ユダヤ人 最後の楽園――ワイマール共和国の光と影 (講談社現代新書 1937)

両大戦間のワイマール共和国で活躍したユダヤ人が列挙された本。啓蒙期にゲットーから解放されたドイツのユダヤ人が数世代かけて安定した地位を獲得して、社会の中枢を占め、藝術・文化・学問で華々しい業績をあげていたことがわかる。

ユダヤ人 (講談社現代新書)

ユダヤ人 (講談社現代新書)

でも、ユダヤ人の方々が経験してきた歴史については、上の本の冒頭の要約はやや雑駁な印象。こちらのほうが、少し情報は古いけれども、ポイントを押さえた基本書なのかな、と思います。

考えてみれば、ワイマール共和国をユダヤ人の「最後の」楽園と形容するのは、その後のホロコーストを意識した言い方だとは思いますが、ミスリーディングな気がします。ワイマール時代の活躍は、ゲットーから解放され、「ようやくつかんだ」地位だったという見方もあり得るはずですし、「最後」という言葉は、「今後二度とないであろう」と言っているかのようにも読めますが、未来は未知。ワイマール共和国と比較した場合に、新大陸北米のユダヤ人コミュニティはどうだったのか(今現在はどうなのか)、ということも気になりますし。