尖端指向

どうやら世の中には、「最も○○らしい○○」という存在もしくは立場に一定の価値を認めたり、そのような存在もしくは立場を追い求める、という発想もしくは語法があるようです。

(なお、以下のまだ書きかけで、やや長くなりそうなお話には、次の寓話が参考になるらしいです。視力が鈍いわたくしには、どういう事情でそういうことになるのか、話がよく見えませんが(笑)。 → http://masuda.way-nifty.com/blog/2005/03/post.html

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「最も○○らしい○○」をいかにして認定するか、基準や手続きには諸説があって、あらゆる事例を調べて共通点を積み上げる帰納と、○○とは何なのか、論理的に疑いようのないを命題を設定して、そこから順次議論を枝分かれさせていく演繹が有名で、前者は議会の多数決や、最大公約数を良しとするポピュリズムに似ており、後者が猥雑物を取り去り、現象を純化する傾向を強めると原理主義的な信仰に近い雰囲気を帯びてくるのは、よく知られていることかと思います。

絶対音感 (新潮文庫)

絶対音感 (新潮文庫)

信仰は、功徳・現世利益がある、という実例によって補強され、さらに広まるわけですね。

でも、単に「○○とは何か」ではなく、「最も……」と最上級を導入する語法には、もうちょっと違う方向性があるのかも。

○○の定義や本質ではなく、○○がもたらす効果や、○○が到達しうる領域の広がり、行使しうる影響力を考慮して、その最前線・最先端を探し求める、というような発想です。○○には尖った先っぽのようなものがあるはずだから、それを追い求めようではないか、というわけです。

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

もはや昔話ですけれど、この本すごく話題になりましたね。

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最も宇宙科学らしい宇宙科学は宇宙の果てを目指してロケットを飛ばし、最も外科医らしい外科医は、脳や心臓といった、ヒト・生命の根幹に関わる部位にメスを入れ、針を刺す。いわゆる「進歩主義」(人類の歴史は不断に進化・前進している、という信念)は20世紀もしくは昭和のイデオロギーとして回顧の対象になっていますが、人間の生き方・考え方は多様ですから、世の中には、先端恐怖症の人もいれば(高校時代に「極度の先端恐怖症なの」と言う女の子がいて、彼女の父親は大学教員だった←やや出来過ぎた話)、その一方で、ぜひとも尖端(先端?)へ行きたい人というのが、今も昔も一定数いるのだろうと思われます。

まったく余談ですが、白石家は、息子をまっとうな(=可能な限り尖端/先端に近い)医者に診せることを決意した父親が、そのためには都会へ行かねばならぬと思い定めて、ほぼそれだけの理由で、当時父親が赴任していた大隅半島のロケット基地のご近所の村から一家で大阪へ移住した、という経緯があり、白石知雄は、父親によって尖端/先端に限りなく近い医者の診察を受けさせねばならぬと判断された当該個体ですから(笑)、尖端/先端を追い求める発想は、わたくしという個体に入りくんだ形で流れ込んでいる面倒くさい案件なのかもしれず、阪大や京大というところは、学生として学ぶ場所である以前に、クライアントとして、何度となく一日がかりで連れて行かれた難儀な場所だったわけですが……、

(追記:といっても、幼少期に難病を患ったとか、今も不治の病に冒されている、というようなことではありませんのでご心配なく、むしろ現在の私は、この件は、この父子ならびに一家が、やや屈折したヴァリアントの形で「地方人が都会へ吸い寄せられるように出ていく昭和40年代」の磁場のなかにいて、当事者の意識がどうであったかはともかく、巨視的には、70年万博前後に大挙して大阪北摂へ西日本一円から参集した人の群のなかにカウントされるのであろう、という風に冷静に理解しております)

おそらくこういうのは客観的にはよくある話で、現代日本の平均的な都市生活者にとって、「大学」というのは、かぎりなく「大学病院」とイコールな存在ではないかと思います。大学は、町のお医者さん(=市井の議論)では対処できない案件のときに、紹介状をもらって行く場所である、と。都市には、どうやらそういう何らかの「尖端/先端」があり、そういう「尖端/先端」が制度の形をとった存在の一つが大学なのでしょう。

新潮文庫「白い巨塔 全5巻セット」

新潮文庫「白い巨塔 全5巻セット」

私が大阪へやって来たのは、ちょうど山崎豊子の小説で言うところの「浪花大学」(笑)に新病棟が建設されつつある頃ですね。昭和40年代の梅田界隈の記憶はほとんどないのに旧阪大病院の外観も内部もよく覚えているのは、行くのが嫌だったし、何度も長時間いたからでしょうか。

今や当時の「旧病棟」は跡形もなく、当時「新病棟」であった川の対岸のビルの跡地は、阪大病院が吹田へ移転したのち売却されて、今では朝日放送新社屋が建っていますが……。そしてそのことを、昨年末に同社へ大フィル新春番組のお仕事で行ったときに知り、大げさに言うと、自分にとっての大阪の原風景みたいな場所へお仕事で来てしまったのだなあ、となんだか複雑な因縁を感じてしまったのですが……。

あと、いわゆる「現代音楽」が音楽の尖端/先端なのか、というのは議論の的であり続けていますが、ヨーロッパの音楽史における16から19世紀を「Common Practiceの時代」と呼ぶのは、20世紀の「New Directions」を認めてあげるかわりに、19世紀以前の音楽の「一般性」を肯定してもらう和解案、アメリカ的価値のもとに大同団結する政治決着みたいな感じがします。「クラシック音楽」の良識と「現代音楽」の尖端/先端ぶりの両方の顔を立てる妥協案を打ち出すことで、音楽論は、平和になったかわりに文化・思考の尖端/先端ではなくなった、ということかもしれませんね。

現代音楽キーワード事典

現代音楽キーワード事典

で、美学です。

哲学は思考のフロンティアであるとされ、美学は藝術と感性の哲学ですから、藝術諸学の要にしてフロンティアであるということで、ちょうど医学部のエースが脳外科や心臓外科へ進むように、藝術諸学科のエース級が美学を専攻するものである、旧帝大の(かつての?)学科構成を見ていると、そういう風に想定し、制度が設計されていたように見えないこともないのですが、

素朴な疑問として、他の国の大学・学問構成もそういう風になっているのでしょうか?

[少しだけ書き足し]

「世界が認めた日本人」のパターンとしては、大別して「ノーベル賞」型と「東洋の魔女」型があると思うのです。

前者は、医学や自然科学の国際的に認知されている基準・ルールがあって、国際的に信用されている機関がそうした基準・ルールに照らして「先端的」な業績を認定するケース。この場合、たとえば国内での報道・認識と国外での報道・認識にさほどズレがないと想定したうえで、そのような人々がしかるべく処遇され、尊敬されているのだと思います。

一方後者は、たしかに定義上「世界一」ではあるのだけれども、アマチュア女子バレーボールというような、地球上でどれくらいの規模で行われているのか冷静に考えるとよくわからないジャンルでの業績。文化スポーツではこうしたことが起こりがちで、当該ジャンルがさかんであるか否かによって、報道・認識・尊敬のされ方には著しい違いがあると思われます。日本人は日本で人気のあるジャンルでの「世界一」(野球とか)を選択的に注目する傾向があるし、日本人が「世界一」になったことでそのジャンルがおくればせに脚光を浴びる(女子サッカーとか)こともある。だからダメだと言っているのではなく、文化スポーツ芸能など、見世物・興行・娯楽の側面を含む分野は、原理的にそういうものだし、そうでしかあり得ないのだろうと思います。(見世物・興行・娯楽の側面を含む分野だからこそ、「感動・勇気」をもらったり、あげたりする効用があるのでしょうし。)

そしてそのような芸能・文化における「世界性」については、たとえば北米・西欧が世界の中心・中軸だという前提のもとに、彼らが重視するジャンルでのメジャー入りは、たとえナンバーワンでなかったとしても、彼らがあまり注目していないジャンルでの一等賞より価値があるのだ、とか、いや、そんなことはない、とかいった微妙なジャンル間の格付け問題が派生するような気がします。

「武満徹は国際ブランド」とか、「世界のオザワ」とか、というのはどれくらいの凄さなのか、「ベルリン・フィルを指揮した日本人」の場合はどうなのか、「○○国際コンクール日本人優勝」はどれくらいセンセーショナルなことなのか、等々、洋楽の世界には、「ノーベル賞」型と「東洋の魔女」型の間のどこかにマッピングできるのだろうけれども、具体的にどこにどう位置づけたらいいのか、そう簡単に言えない案件が膨大にありますよね。

黛敏郎の電子音楽

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黛敏郎も、この本に書かれていることはひとつひとつが本当に貴重で、とても勉強になったのですが、カンパノロジーがスペクトル楽派を先取りしていたか否か、という視点は、出てきて当然かもしれない反面、そこへ拘泥するとちょっと五月蠅いかも、と危惧しています。

現状では先方(フランス人)はこちらのことをほとんど知らないし、先方にマユズミをプレゼンするときにそこをプッシュするのが本当にいいのかどうか、作戦として考え所だと思うんですよね。そこをプッシュすることは、こちらがスペクトル楽派を重要な潮流だと認定していることになりかねないし、それで本当にいいのか、私にはフランス楽壇の構図がよくわかりません。

また、とりあえずの「ツカミ」として、カンパノロジーをプレゼンすれば、相手を振り向かせることができるかもしれないけれども、そうなったときに、そこで開いた回路をとっかかりにして、私たちは何をどのようにコミュニケートすることができるのか。

1950年代から60年代にかけて、日本の「前衛」の先生方がヨーロッパの各種音楽祭やコンテストに作品を送って入選したわけですが、最先端の技法(とこちらがみなしたもの)をキャッチアップして、先方と同じかそれ以上巧妙に消化することは、「瞬間芸」以上の効果をもたらすことが難しいように思うんですよね……。

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武満徹も、オーケストラで神秘的なペダルを踏む「極東のドビュッシー」ということでアングロ・サクソンを振り向かせることに成功したけれども、ヨーロッパ大陸へ進出しようとしたときに「オペラを書け」と言われて、そこで動きが止まってしまったわけですね。

あれだけ映画を愛していたのだから、50年代に日本映画が相当イレギュラーな形で海外進出した経緯を知ってそこから20世紀のドラマ作りを色々学んでいておかしくないはずなのに、たぶん若い頃の武満徹は、リアクション芸的に「絵に音を付ける(ズラシつつ)」という仕事がほとんどで、ドラマ自体を作るところに関心はなかったと思われます。チームの一員ではあってもリーダーではない。そして80年代以後にブランドが安定した頃のタケミツ・チームにも、たぶんオペラを成立させる力はなかった。そこは想定外だったのでしょう。

戦争では兵站・補給路が生命線だと言いますが、人づきあいでは、それを長続きさせる気構えと裏付けがあるかどうか、というのが大事だし、きっと、いわゆるひとつの「21世紀のニッポンが目指すべき成熟社会」というのは、なおさらそうなんだろうと思います。

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http://ooipiano.exblog.jp/16971427/

亡命者リゲティが、ひとつひとつは「瞬間芸」として消費されてしまいかねない技法を次々披露することで西側楽壇を生き延びた、という野々村禎彦さんの論はすごく面白く感動したのですが、「日本の前衛」を世界音楽史に登録しようと思ったときに目指されるべき場所は、やはり、そういった「モノマネ上手なアジアの国ニッポン」方面になるのでしょうか。

おそらく、美術(村上隆)や文学(村上春樹)の場合もそうだと思います。「ノーベル賞」的なすっきりした「最先端」認定はありえず、戦略や演出や思い入れがどこかに何らかの形で入らざるをえないようです。

(ノーベル賞各部門のなかでも、平和賞と文学賞は、政治的バイアスがあるとか、財団の文学観の特性から、誰それの受賞可能性あり/なしは推測できると言われたりもしますし、文化芸能の「評価」はやっかいです。)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

いつも言いますが、水村美苗さんの「日本が亡びる」論は、文学者の国際交流という、何がどう有意義なのかよくわからない北米の行事に、あまり良好と思われない精神状態で参加する主人公を設定した「小説」だ、というのが私の解釈です。

で、日本の美学のエース級の先生方が、国際的な美学の会合の常連でいらっしゃったり、国際美学会の役員の肩書きをもっていらっしゃったりするのは、「ノーベル賞」タイプなのか、「東洋の魔女」タイプなのか、門外漢にはよくわからないなあ、と私は思ってしまうのです。本当に失敬な言い方で申し訳ないのですが……。

[少しだけ、つづき]

自分で考えるというより、ここまでの書きかけ部分へのあちこちの(間接的な)リアクションから推察されるのは、

第1に、美学に「一国を代表して」というような所作は似合わない。国というような仕切りと関わりなく、あっちこっちで何か面白そうなことを考えている人が何かのはずみで出会って話をする、というようなスタイルが似合うらしい、という認識。

第2に、とはいえ、人間は様々なので、「美学」を学び、それに関連する肩書きを背負いつつ武闘派的に活動・行動したい人もいるらしく、それはそれで、「美学」を学んだからといって、「美学」に身も心も捧げねばならないわけではないのだから、そういうのも、個人の自由としては十分にあり得るのかもしれない、ということ。

そして第3に、個人が個人としてアクティヴであっても、そうでなくても一向にかまわないのだけれども、個人の行動における旗として「美学」を担ぎ出したり、何かコトが起こったときに「美学」をもちだしたりすると、何か変なことになるらしい。たとえば、藝術の世界史的な使命、とか、全体主義と崇高・政治の美学化、とか。

これらを総合すると、美学の一番デリケートな部分に点火するようなことは通常しないほうがいい、ということになっていて、ましてや、原子力と津波の大災害が巻き起こったときに、そんな危ない橋を渡ってはいけないことになっているらしい。

でも、この説明は本当なのだろうか。

ちょっとキレイゴト過ぎる建前論なのではないか。私は取り澄ました説明の向こう側にあるものを知りたいと思う。

[もう少しだけ、つづき]

美学に「尖端/先端」があるとしたら、そこは、定義上、美学ならざるものとの臨界点であるはずです。

美と藝術と感性が人間の営みのひとつの極限であり、それゆえ美学の臨界点を越えることは、もはや、人間性を踏み越えてしまうことであり、だからそこまでたとりついてしまうと、人はとりあえず「すがすがしい」と言うしかない。もしかするとそのような考え方があるのかもしれませんし、

美と藝術と感性が人間の数ある営みのひとつに過ぎないのだとしたら、その臨界点とは、関連諸学や自然科学や社会科学といった学問上の「お隣の部屋」に過ぎないのかもしれず、あるいは、批評や実作といった実践と触れあうことになるのかもしれないので、そのようにフラットな捉え方をする場合には、美学の「尖端/先端」では、世俗的な会議や、代表者による折衝などの世俗的な交渉が主として行われることになるのかもしれません。

あるいは、世界はメビウスの輪のように表と裏がつながっていて、美と藝術と感性の「尖端/先端」のその先には、一家の団らん・生活世界なのかもしれない。そうだとしたら、美学を極めた者は、メシ食って、酒呑んで、女抱いて、寝る、でいいのかもしれない。(それではまるで、19世紀末の寓話「青い鳥」や、20世紀末の寓話「エヴァンゲリオン」みたいでもあり、美学がオトナになるための一種の通過儀礼だ、と見る点で、弁証法や成長小説みたいですが。^^;;)

結局、そういうことなのでしょうか?

だとしたら、もう一回反転して、「震災後の美学」を酒酌み交わしながら議論して何が悪い、ということになりそうですが。

さて、どうしましょう?