1960年代アメリカの近代化論(北野圭介『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』)

アメリカの六〇年代というのは先にも触れたように、学生や知識人を中心にリベラリズムが席巻した時代です。ですが、当時のアメリカのリベラリズムは戦後、アメリカを中心として世界秩序(特に「バックス・アメリカーナ」とも呼ばれます)を構想し、具体的な介入を世界各地でおこない、膨張主義的になっていたアメリカと表裏一体であったといわざるをえないところがありました。(北野圭介『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』、2005年、平凡社、100頁)

日本映画はアメリカでどう観られてきたか (平凡社新書)

日本映画はアメリカでどう観られてきたか (平凡社新書)

北野圭介さんは、ハリウッド映画史を、それこそハリウッドの古典映画のようにスムーズなプロットに収めて新書一冊で物語ることもできるし、

ハリウッド100年史講義―夢の工場から夢の王国へ (平凡社新書)

ハリウッド100年史講義―夢の工場から夢の王国へ (平凡社新書)

アナログ/デジタルという通りのいい二分法の前に立ち止まって、歩みの「遅さ」が積極的な成果をもたらすような本も書いて、

映像論序説―“デジタル/アナログ”を越えて

映像論序説―“デジタル/アナログ”を越えて

両方できるのは凄いことじゃないかと思うのですが、

上の引用文は、ロストウやライシャワーといった1960年代アメリカのイデオローグと目される人たちの「近代化論」を背景に見据えながらドナルド・リチーの黒澤明論を扱っている章のまとめです。

リチーのクロサワ論は、今読むと「上から目線」が鼻につくけれども、同時代の政府筋が信奉していたと思われる近代化論(マルクス主義の唯物史観に対抗する「西側」の経済発展論で、政体革命によらない経済発展によってあらゆる地域が「西欧化=近代化」へと離陸できる、とする理論であったようです)が背景にある時代であったと考えれば、それとの差異が見えてくる、というような立論。

戦後日本は「近代化」の優等生であった、という見方は、そのあとを韓国が追いかけており、その次はどこだ……というような話を今でも経済アナリストな方々がやっていますが、2つのことを思いました。

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第1に、日本の明治維新以後の歴史を「近代化」(のお手本のような成功事例)というタームで括るようになったのが1960年代のことだとすれば、それ以前はどのような語彙で日本の明治・大正・昭和が把握されていただろうか、ということ。

そういえば、明治の議論として思い浮かぶ言葉は「近代化modernization」よりむしろ「文明化civilization」かもしれませんね。

文明論之概略 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

欧化へ邁進する人もいるし、これまでお世話になった中国だって文明だ、というように、「文明化」と「西欧化」を同一視しない人もいる。で、それらと絡み合いながら、目下の課題としての列強の脅威を肌で感じながらの「殖産興業」がある。(a) 和室に和装で、(b) 原書を読みながら、(c) 昨今の不人情を愚痴る、というような明治の知識人(夏目漱石とか)のイメージは、「西欧化」、「文明化」、「殖産興業」といったモチーフ群が意味や力点を少しずつズラシながら運用されている場を感じさせます。

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そして第2に、そのようなモチーフ群の集合離散が、40年代総動員体制と敗戦を経て、60年代に「近代化」という北米流の語法へ整流されたのだとしたら(←柴田南雄の20世紀音楽論はまさにこれ!)、当節流行の「創られた近代」論が、戦後批判としてはまことに威勢が良いにもかかわらず、議論の射程を(彼らが「近代化」の原点とみなす)明治へ延ばそうとすると妙に歯切れが悪くなるのは当然に思えてきます。

「明治が近代化の原点である」というのは、論の組み立てを考えれば、1960年代の近代化論が自らの立論を成立させるために過去へ遡行して設定した仮の補助線に過ぎないかもしれない、ということです。司馬遼太郎の小説のように、幕末・明治を引き合いに出しつつ戦後を撃つ(=ターゲットはあくまで同時代の読者)という場合にはそれでいいけれども、明治を主題的に論じるときには、論点先取の誤謬を犯さないために、「近代化論」という枠組みを一度外さなければなりません。

でも、「創られた近代」論を語る人たちは、多くの場合、1960年代以後の「近代化」(および近代化論)の恩恵を享受して、「近代化」を構成する諸制度のなかで、「近代化」への自己批判を標榜することで出世し、成功した人々であり、その幸福を延命させたい動機づけで立論するのが大半なので、「近代化論」の外へ出ることなど思いもよらない。

そういう構造になっているような気がします。

「アメリカの庇護」をバスに喩える「バスに乗り遅れるな」論というのがあるそうですが、ある種の人々は、むしろ、一度乗ったバスから降りられなくなっているのかもしれない。「創られた近代」論というのは、バスに閉じこめられたまま、野獣をガラス越しに見物するサファリパークなのかもしれませんね(笑)。

ドアを開けて外へ出たら、実はそれほど不便でも危険でもなく、それなりの生き方がある、かもしれないのに……。

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

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阪大准教授というポジションは、東大側からみた場合、やんちゃなことをやりた気な人材をとりあえず据えて、しばらく様子を見る「保護観察期間」の意味合いがありそうです。その後、東京からの誘い(東大ではなかったらしい)を自ら断った前任者もいれば、見事、東大のキャリアパスへ復帰した前任者もいるわけですが、さて、どうなるか。
ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

本書のタイトルは、小熊英二『民主と愛国』を踏まえているそうですが、わたしは、小熊氏の本における「わたしたち」という言葉の使い方に強烈な違和感を覚えて、読み通すことができません。取り上げられている論者たちと、著者と、読者すべてを包摂する「わたしたち」とは何者なのか。それは、当該論者たちの綴った言葉を同一平面に並べて読むような場所=この書物のなかにしか成立しない虚構のような気がするのです。もちろん、そのように、ある時空の発話を横並びにしたものを「言説discourse」と呼び、個々の発話を規定しつつ個々の発話に規定される言葉の時空の構造を分析するのが社会科学の方法論のひとつであることは承知していますが、分析結果の叙述に「わたしたち」という曖昧な人称を安易に用いるのは、分析的な知性の働きというよりも、科学を装う通俗のような気がするのです。

「わたしたち」という話法を採用することと、発話にまとわりつく残余としての「心情」を汲み取る(「心性mentality」の構造を浮かび上がらせるのではなく)という通俗読み物のような水準で長大な叙述が駆動してしまうことは、表裏一体であるように思われます。

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

「いまさら妻子を路頭に迷わせるわけにはいかない」という言い方がありますが、そういうのを「小市民的」として相対化する装置として、リアリズム小説(日本流に言えば「私小説」)があったのだろうと思います。そしてアートの語は、サファリパークを巡回するバスのなかの暇つぶしの道具(今なら携帯ゲーム機か?)ではなく、ながらく、リアリズムや「私小説」の側にこそ認定されていたんですよね。

私小説のすすめ (平凡社新書)

私小説のすすめ (平凡社新書)

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興味深いのは、音にしろ色にしろ、その他の技術にしろ、より写実性の高い映画を目指して、映画へと入り込んできたのではないということです。むしろ、新種の見世物性を開花させるためという思惑が強かったのです。音は映画鑑賞をより祝祭的にするために、色は画面をよりスペクタキュラーにするために、映画へと誘われたと言えるでしょう。(北野圭介『ハリウッド100年史講義』、2001年、平凡社、104頁)

ハリウッド100年史講義―夢の工場から夢の王国へ (平凡社新書)

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北野圭介さんのハリウッド映画論が快適でスムーズなのは、「見世物性」という猥雑なファクターを勘定に入れてプロットを組み立てているからだと思います。そして一見平明な概説のようでいながら、決定的な場面が来ると、そこで読者をピンポイントで撃つ仕掛けになっているようです。あくまで平明な物語の「コード」を守りながら……。

(日本映画の本でロストウやライシャワーに言及するのは狙い澄ました感じがしますし、『ハリウッド100年』の50年代の講述は、サイレント時代が過ぎ去ってしまった1930年代に生まれて、3Dとかワイドスクリーンとかのいかがわしい新機軸が踊った1950年代に青春を過ごした蓮實重彦のような世代が、謙遜でも何でもなくハリウッド映画の一番グダグダでいかがわしい時代に育った人たちで、その雑食の強さを最大化した人たちだったらしいということが、平明な文章で全部種明かしされているように感じました。)

ジャン=リュック・ゴダール 映画史 全8章 BOX [DVD]

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『映像論序説』は、一転して、性急な断言を退けて、映像に身体を「接続」されつつある現状を超スローモーションの高解像度拡大映像のようにじっくり、たっぷり眺め続けていて、その視線は、なんだかめちゃくちゃ恐いです。その先に、いったい何が出てくるのか?!

P.S.

北野さんの経歴は、どれを見ても「1963年大阪生まれ」から「ニューヨーク大学大学院博士課程中途退学」へ飛んでいます。おそらく1980年代末に渡米、1998年に帰国、だと思うのですが、80年代をどこでどのように過ごされたのでしょう……?