人はティパニー奏者の優しい手つきに感動できるか?

テレビというのはこういうものなのか、と、ひとつひとつが勉強になる日々。

「大植英次〜大阪と見た夢」という番組は、もはや、作った人、の手を離れて、ご覧になった皆さまの間で様々な会話を誘発しているようです。

こういうものなのですね。

たとえば、放送で第2楽章をカットした件については、本当に色々なご意見があるようで……。

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ひとつだけ、私の推測を書くとしたら、(放送時間と演奏時間を計測して、枠内に全曲が収まったはずだ、と書いていらっしゃるのもお見かけしましたが)そもそもの話として、オーケストラのコンサートを淡々と放送するだけだったら、番組として企画が通らない、というようなものなんだろうと思います。(私が勝手に想像しているだけですけど。)

「大植・大阪フィルの9年間の総決算」という位置づけだから、朝日放送の音楽顧問でもある大植さんの番組企画が通って、だから、ある程度の尺で、コンサート以外の内容が入っていなければならない。

そして、なんとか大丈夫だろうという予測のもとにコンサートを収録してみると、演奏時間が予想したより長くて、2時間番組としては全曲入れると他が何もなくなっちゃうし、他のコーナーを入れると曲のどこかをカットしければならない実に悩ましいことになった。

で、カット止むなし、となれば、今度は逆に当初予定していた以上に他のコーナーを膨らまさなければならないので、そんなこんなで、テレビの素人であるわたくし如きまでもが召還されることになった。

おそらく、そういうことだったのではないか、と、(誰に説明されたわけでもありませんが)私はそんな風に想像しています。

私は、その色々なバランスをキワキワに縫って番組が出来上がる感じを、とっても「テレビっぽい」と思いながらお仕事させていただいておりました。

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それはともかく、こういう話題はどこへ向かっていくんでしょう。もはや自分の手を離れた感じの事態の成り行きがちょっと楽しみです。

想定されるひとつのシナリオは、「当たり」であったり「外れ」であったりする推測や、強引であったり、心温まるものであったり、冷たい断定だったり、そうでなかったりする会話がひとしきり渦巻いて、それなりに盛り上がった末にタイムラインの向こう側へ流れていくのかなあ、ということ。

これはこれで、いかにも2012年の風景ですし、そういう会話が無駄・無為というわけでもなくて、ものすごく細かく言えば、番組をネタに会話がそれなりに盛り上がることで、ソーシャルネットワーキングなるものの流量が増えて、当該システムの「盛況感」が増すことは、そういうサービスを提供している人たちにとって有難いことなのでしょうし、そういう会話の盛り上がりが積み重なると、インフラを整備したりする必要がでてきたりということで、「関連産業の活性化」にも巡り巡って微力ながら貢献しているのかもしれません。

会話を投げるのは、(今現在のわたくし自身もそうですけれども)空いた時間にパソコンや携帯にチョコチョコっと打ち込めばすむので、ひとりひとりの、ほとんど労力ともいえない労力が積み重なって産業が潤う、とっても「クラウド」(←使い方合ってますかandこのバズワードをまだ使い続けていて大丈夫ですか?)な感じです。

ネットワーク産業を活性化するためには、企業戦士たるもの、格好のネタを提供した「愚かで見識のない番組製作者」として、汚名と罵声ぐらいは、喜んでどんどん受けねばならないのでしょうから、ビジネスってのはシビアな世界だ、というか、社会とはそういうものだ、というようなお話です。

(必ず逆を突く意見が出てくる、というのがこの種のネタの常ですから、そのうち、「あれは本当にいい演奏だったとは思えない」式に水を差す意見も出てきたりするのでしょうし……、世間の風は冷たいものだと思っとくくらいがちょうど良いのかもしれません。今に始まったことでなく……。)

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もうひとつのシナリオは、「CD化、DVD化して欲しい」という声をちらほらお見かけして、本当にそういうことが実現しちゃったりしたら、それはそれで面白いのかもしれない、ということ。

そういうリクエストが放送局やオーケストラに(コンサートのためのお客様アンケートのときを上回りそうな勢いで)殺到したら、やるか?という話になるの、かも、ですが、そういうのって、具体的に誰がどういう風に汗をかいて事業化するものなのか、というようなことは、当然のことながら、わたくしにはまったくわかりません。

「ブルックナーをカットするなど言語道断である」という原理主義の厳しいご意見と、全部観たい!という、大植時代の大フィル・ファンのみなさまっぽい声とが合流して、「みんなのCD/DVD」ができたら、それは非常に「夢の続き」な感じでいいかも、と思いますが、大植さんが大阪へ来る7月の定演までにどこまで盛り上がるか、なんでしょうね、きっと。

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わたくし個人としては、たとえば、第1楽章の最後のところで、ティンパニーを叩いて、そのまますっと響きを止める手つきがうっすらと映っているのを見て感動してしまいまして、

こういうのは、狙っていなければ撮れるわけがないけれども、狙ったからといって本当に使える「絵」になるとは限らないのだから、こういう画面が実現するためには、見えないところでどれくらい膨大な労力が費やされているのだろう、そしてそういう色々なことがあるのだけれども、そんな舞台裏を全部忘れて、すっと引き込まれる「絵」だなあ、と思い、そういう感じで言いたいことがたくさんあるのですけれども、それは、DVDが出るときまで「ネタバレ」しないことにするべきでしょうか。

(でも、まだ番組タイトルも決まっていない打合せのときに、オープニングはこうしましょう、って、黒バックに白抜き文字のところから、夜景の空撮にドンとタイトルが出るところまでのかっちょいい展開のすべてのショットを順に口頭で説明されて、本当にその通りの映像が出来上がったときには、本当にビックリしたのでした。「絵」でものを考えて、何もないところから映像のストーリーをカキっと「作る」んだ、と。そしてそういう映像が出来上がって、大植さんを正面から捉えたショットに乗せてナレーションが入るというのは、信じがたく気持ちがいいわけで……。)