1984年以前のヤナーチェク、「1Q84」以後のヤナーチェク

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

まだBook2までしか読んでいないので、このあとに何か仕掛けがあるんだとしたら早とちりかもしれませんし、読んだら何人もの人が思いつきそうな話ではありますが……、

バルトーク:オーケストラのための協奏曲/ヤナーチェク:シンフォニエッタ

バルトーク:オーケストラのための協奏曲/ヤナーチェク:シンフォニエッタ

  • アーティスト: セル(ジョージ),ヤナーチェク,バルトーク,クリーヴランド管弦楽団
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2012/12/05
  • メディア: CD
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手元の資料によると、

全日本吹奏楽コンクールでヤナーチェクを演奏したのは1979年(第27回)の福岡工業大学附属高等学校吹奏楽団の「タラス・ブーリバ」が最初で、翌1980年(第28回)に駒澤大学吹奏楽部が上埜孝の編曲・指揮でシンフォニエッタをやったのが、吹奏楽業界でのこの曲の流行に火を付けたのではないかと思います。

(わたくしの高校のブラバンでは、1981年度の冬頃、男子金管・打楽器部員の間で、休憩中に「チャ〜〜リ〜〜ラ〜〜」(トロンボーン)「タラリ〜ラリラ〜」(トランペット)「ドドド〜ンド〜ンドド」(ティンパニー)と即席でシンフォニエッタするのが熱病のように流行しておりました。大学3年1986年の夏には、近所の大学との合同演奏会のメインで全曲やった。)

だから、1984年にこの曲、というのは著者の狙いがよくわかりますが(こういう風に読者層をピンポイントで射止める才覚がベストセラー作家ハルキのハルキたる所以なのでしょう)、

主人公の過去に遡って……というのは、ちょっと早すぎるのではないだろうか。果たしてそこまで情報感度の鋭い高校の音楽教師がいたのだろうか。ハルキ本人がその時期にこの曲を知っていたから大丈夫、という判断で書いちゃった設定ではないかと思った。(あるいは、昔からヤナーチェクが当たり前に受容されているパラレルワールドの捏造か?)

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で、わたくしとしては、

上記のようにほぼ流行に至った経路がわかる1980年代吹奏楽におけるヤナーチェクではなく、

1970年代(あるいはそれ以前)の日本のヤナーチェク受容がどうなっていたのか、というのが気になります。

日本のバルトーク受容については、石田一志先生のリサーチがかつて「音楽芸術」に出ましたが(参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110410/p1)、ヤナーチェク受容は、まだ誰もまとめていないのではないだろうか。

チェコ音楽な人、すまし顔の真面目な研究者のふりをしながら、村上春樹のベストセラー小説における音楽の扱い方に言及できる順番が巡って来ましたよ。

(それにしても……、これからはヤナーチェクについて書くときに、前振りで村上春樹の名前を出したほうがいいのかどうか、一瞬そんな思いが頭をよぎってしまうかもしれないと思うと、なんだか悔しい。ひっそり隠れているもの(それが大切か大切でないのか、ということを含めて不定形なままで)を白日の下に晒され、強引に奪われたような感覚。ハルキという人は、こういう感覚を伴うことなしには、恋愛を書くことができないのかなあ……。

チーム・ハルキは、同じ流儀でノーベルさんの名前を奪ってしまおう、ということで動いていることになっているわけか? 「だからオトコってのは、ホントにもう」(←こんな口調のオンナは、彼の小説世界にそぐわないが)。)