「得意」と「苦手」の二分法は、「好き/嫌い」と「できる/できない」に分離したほうがわかりやすい

人文科学の人は、しばしば、理系の学問・手法が「苦手」だと言うけれど、おそらく「得意/苦手」は、「好き/嫌い」と「できる/できない」を曖昧に混ぜた言葉で、そこが事態をわかりにくくしているような気がする。

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人は、「好き」ではなくてもそれが「できる」場合があるし、「大好き」なことをうまく「できない」こともある。

いつも実名を出して申し訳ないけれど、増田聡くんは、おそらく実務が「大嫌い」なのだと思う(彼のつぶやきからはそうとしか思えない)。

でも、風の便りによると、彼はとてもよく実務をこなすことが「できる」人(と職場でみなされている人)であるらしい。

だからたぶん、彼のなかでは、「好き(嫌い)」なことと「できる(できない)」ことがねじれているのだろうと思う。

一方、大久保賢さんは、あらゆる物事について「好き/嫌い」だけをブログに書くけれど、観察していると、彼の言う「嫌い」は、限りなく「できない」とイコールであるように見える。自分が「できる」(わかる)ことをどんどん「好き」になって、自分が「できない」(わからない)ことはどんどん「嫌い」になるのだと思う。

そこが、「きっと悪い人ではないのだろう」という印象を生み出す一方で、なんだかもの凄く偏食の人であるようにも見えてしまう。

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吉田秀和の生き方を見ていると、この人は「できる/できない」と「好き/嫌い」のそれぞれをしっかり自覚して、そこは括弧として揺るがないのだけれども、同時に、世の中ではそう簡単に両者が連動するものではない、という醒めた認識があるように見える。

「できる」ことをたくさんやれば、ポイントをたくさん貯めてボーナスを手にするみたいに、いつか「好き」を「自由」にやらせてもらえるようになるはずだ、というような、ひょっとするとアメリカン・ウェイ・オヴ・ライフと日本流のガンバリズム(年功序列な立身出世)に共通する人生観を、たぶん、吉田秀和は信じていない。

「できる」の集積である50万円を、外遊という「好きなこと」にポンと使ってしまう行為は、自動処理されるポイント制(占領下の日本で有名芸能人が「ご褒美」としてハワイやアメリカへ行かせてもらえたような)ではなく、自らの意志と巡り合わせで実現した、ある種の「ジャンプ」に見える。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130103/p1

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もしかすると、戦後日本の奇跡の高度成長というのは、「好き/嫌い」と「できる/できない」という、本来、交わるかどうかよくわからない二つの軸の間で、価値の「交換/変換」を上手にやりくりできた人たちの時代だったのではないかしら。

まあ、そのような価値の「交換/変換」は、実はそれほど特殊なことではなく、それこそが「ザ・キャピタル」の運動としてスケッチされてきたことなのだと思う。

悩める人文学者が輩出するのは、たぶんそのあと、どこかで、二つの軸の間の「交換/変換」に不調が生じた、ということなのでしょう。

価値の「交換/変換」が、その都度の実際的な「ジャンプ」としてではなく、ハウツー・マニュアルにまとめることのできる安全・安定稼働の「システム」と表象されたり、信念が岩をも貫く「信仰」(「いずれ私の時代が来る」by グスタフ・マーラー、みたいな)となることで、おかしくなっちゃった、というのが、穏当な見立てなのかなあ、と思いますが。

以上、久々に「啓発する人文学」でした(笑)。

敗北の文化―敗戦トラウマ・回復・再生 (叢書ウニベルシタス)

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  • 作者: ヴォルフガングシヴェルブシュ,Wolfgang Schivelbusch,福本義憲,高本教之,白木和美
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  • メディア: 単行本
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法政大学出版会が惚れ込んでいるのかぞくぞくと訳出したシヴェルブシュの本のなかでは、やっぱりこれが「主著」ではないかと思う。

南北戦争後の「風とともに去りぬ」の南部、普仏戦争後の第三共和制フランス、第一次大戦後のワイマール共和国……。

片山杜秀は、「もてない」国が戦争をはじめてしまうプロセスを追いかけましたが、シヴェルブシュを読んでいると、近代総力戦は、勝敗が決したら「ノー・サイド」になるフェアプレイのスポーツ(もしくは、「もてない」者でも当たって砕けろでアタックするのが「爽やかな青春」であるような恋愛遊戯)ではなく、負けたら死にそうにキツいんだなあ、という感慨が染みてきます。

シヴェルブシュは、1941年ベルリン生まれで、「ドイツ零年」を体験した世代だそうです。

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120606/p1