「ピリオド聴法」

http://www.classicajapan.com/wn/2013/02/281221.html

慎ましい古楽コンサートで実行するとつまみだされるので、やってはいけない(笑)。

それにしても、輝かしい「復活(リヴァイヴァル)」から「正統性(オーセンティシティ)」の追求へ、というキリスト教会的なメタファーにくるまれて混沌の1990年代(グレゴリオ聖歌ブームがあった!)にメジャーデビューを果たし、ヒップ(HIP = Historical Informed Performance 歴史的情報にもとづく演奏)というプロテスタント聖書学に似た主張がなされるというように、科学と宗教が融合したような情熱に駆動されてきた再征服、国土回復レコンキスタにして「神の堅きとりで」であるところの古楽・ピリオド演奏。

資本主義・商業主義を超えたいコミューン志向が強いのに、なぜか日本では、「モダン奏法は既得権益、中間搾取、ガラパゴスだ」という風に受け手の脳内でカテゴライズされているのか維新ネオリベな人にもウケがイイみたいですね。潜在的クリスチャンが日本には多いということか?!(まあ、ネオリベはキリスト教原理主義と相性が良いわけだけれども。)

お客様がそれを望むのであれば、聖職者の役くらいは演じられなければ、スタープレイヤーと言えども食べていかれない21世紀であります。(かつてそのようにしてヴィブラートやイン・テンポが全盛となったように。)

古楽の復活

古楽の復活

実はこの本、「「真実の姿(オーセンティシティ)」を求めて」といういかにもクリスチャンな副題は原書にはありません。訳者もしくは編集者、もしくは、本書刊行時に想定された読者層がそのような志向の人であったが故の、邦訳独自の「アングル」だと思われます。

むしろジャーナリストであるハスケルの本が面白いのは、「オーセンティシティを求めて」というミッションには収まりようのない人間群像を取材し、フォローしているからだと思います。

東京書籍が音楽書から事実上撤退して、今は古書でしか入手できないのが残念な好著。