「音楽の国ドイツ」補遺:受容史とオトナの偽善(そしてそれぞれのお国事情・家庭事情)

[追記あり]

吉田寛先生の「音楽の国ドイツ」の序章を読んで、ダールハウスが歴史記述におけるナショナリズムのバイアスについて、いつもの冴えとの対比が訝しいほど何も言っていない、という指摘を読んで、アレ、と思った。

『音楽史の基礎』か他の本か、記憶が定かではないですが、第一次世界大戦前後の時期の音楽史記述では国や作曲家を軍隊になぞらえたような書き方がされていた、という指摘があったのではないだろうか。

あと、ドイツ人が他国の音楽・文化を語る際のバイアスについては、シューマンやワーグナーのパリ論やフランスのオペラ論に関して、繰り返し言及する「ネタ」があったと記憶します。

関連して、Fritz Reckow, "Wirking" und "Effekt". Ueber einige Voraussetzungen, Tendenzen und Probleme der franzoesischen Berlioz-Kritik, Musikforschung 33 (1980) という論文などがある。

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ダールハウスがナショナル・アイデンティティに触るときには、

  • 他国の音楽をめぐるドイツの言説(の歪み)として間接的に示唆する

という傾向があり、私の感触では、このような書き方をすることによって、ドイツの音楽におけるナショナル・アイデンティティの問題を、1970年代からさかんになった「受容史」で引き受けてもらおうとしていたような気がします。そして「受容史」という話法の諸問題については、ダールハウスは様々なコメントを残していますよね。「受容史」をもうちょっと鍛えて、ドイツのナショナル・アイデンティティはそこでいずれ本格的にやってくれたらいい、自分で直接は触らないけれど、という態度だったのではないでしょうか。

善意に受け取れば、限られたリソースを割いて研究が進むのだから手順と優先順位というものがある、ということであり、実際にそのあとダールハウスの死後、無事に冷戦構造が解体して、ドイツ人が、非ナチ化されるべき敗戦国という抑圧を多少なりとも緩めて「ドイツ的なるもの」を語れるようになったんだから、めでたしめでたしではないか、

とも言えるし、

反対に悪意をもって考えれば、ダールハウスは、官僚的な物言いで問題を先送りした、彼の婉曲な物言いは単なるアリバイ工作でしかなかった、と受け止められたとしても仕方がないかもしれない。(晩年はアクティヴな学生から保守的だと批判されていたらしいし。)

そんなところではないでしょうか。どちらとも決定不能な不確定性へ問題を落とし込んじゃったわけです。本人は早くに死んだし。

そしてそのように自らのナショナル・アイデンティティを直裁に語ることを避けた戦後西ドイツの心性について、それは「ドイツ音楽の普遍性への確信」であり、ドイツはそのような形で「神話」を延命・永続させようとしたのだ、とまで言うのは性急で無理がある(そこまで言うのは、「神話(化)」という比喩的・作業仮説的な概念を拡張しすぎていると思う)。

むしろ、敢えて多少なりとも否定的なニュアンスを混ぜるとしたら、昔、浅田彰が西ドイツの戦争犯罪への謝罪に関して言っていたような「(オトナの)偽善」ではないでしょうか。白黒決着がつかんものをどう語るか、という課題です。

「音楽の国ドイツ:20世紀編」の後半、第二次世界大戦後を(誰かが)書くとしたら、歴史記述における「偽善」(音楽におけるキレイゴトの諸相)の問題に取り組むことになると思います。

おそらく「偽善」という視点を出すことで、帝国主義時代の「自尊・自負」との違いもはっきりする。それに「音楽の国ドイツ」という言葉自体が、メルヘンチックなキレイゴトで、「偽善」の臭いのする言葉なわけだし、クラシック音楽をキレイゴトとして語ってしまう傾向は、戦後日本の山の手文化にも跳ね返ってくる問題ですから。

[追記]

……そしてそうこうするうちに、今度は吉田先生が「音楽の国ドイツ」は、「神話」というより正確には「表象」であり、教育の問題を暗黙に射程に入れているのだと言い出したので、だったらもう少し書き足します。

教師の教材選びによって「ナショナル・アイデンティティ」が形成されてしまうんじゃないか、ということみたいなのですが、各論に入る前に確認しておきたいことがあります。

日本は、明治以来、音楽の「近代化」と「西洋化」を同時にごっちゃにして推し進めて西欧をお手本(家元)にして、第二次大戦後は、ヨーロッパの分家なのに本家を圧倒する大国になったところの米国の文化的属国になったので、音楽(史)を教えるときに、自国のことだけでなく、そうした「家元」様や「宗主国」様の情報をあわせて提示するほうが実用的だという事情があるわけですね。

そしてしかし、それではあまりにも屈辱的だというので、最近は「諸民族の音楽」をわけへだてなく教えましょう、という建て前で、「家元」様や「宗主国」様を「諸民族」のなかに混ぜておくことになっていたりするようです。

つまり、日本では、音楽を「ワールド・ワイド」に教えます。

でも、ドイツは、とりあえず音楽に関してはどこかの属国になってはいないので、音楽のことは、日本で言えば「国文学」や「国史学」のようなものとして教えている。いわゆるゲルマニスティークですね。

まあ、そこが「音楽の国ドイツ」のそのように呼ばれる所以ではないか、ということになるわけですけれど、しかしそこまでいいだすと、文化なんて歴史と地政学と様々な偶然で地域ごとに千差万別なんですから、そんな国がひとつくらいあるだろう、という話だと思います。

山口修先生のフィールドであるベラウでは、老人が今も流暢な日本語を話すそうですし、ベトナムは、日本や中国をあまり良くは思わないけれど、フランス文化への思い入れは強いらしい。

国際政治上では、等しくネーション・ステートだ、ということになっていても、そりゃ、それぞれ色々な事情がありますよ。

(そしてドイツの音楽(史)がゲルマニスティークの枠内にあるという前提で考えると、ナショナル・アイデンティティについて沈黙したとされるダールハウスが監修した「新音楽学叢書 Neue Handbuch der Musikwissenschaft」は戦前の「音楽学叢書」と比較すると格段に脱・自国中心主義な方針でまとめられていたわけですし、この叢書のなかの19世紀音楽の巻の準備として執筆された『音楽史の基礎』で明確な言及がなかったとしても、ダールハウスはドイツのナショナル・アイデンティティに関する自身の立場を言葉ではなく態度で示したと見ることが可能じゃないかと思います。「新音楽学叢書」は、渡辺裕を含む当時の日本の音楽学者にもそのように受け止められていたと思います。

「音楽の国ドイツ」の教育拡張ヴァージョンを語るのであれば、そこでのダールハウスの位置づけは、あの叢書にどのような当時としての新機軸があり、どこに「相変わらずゲルマニスティークなバイアス」が残っているかをチェックすること等を通じて、むしろ大きくなっていくんじゃないでしょうか。)

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そして各論に入ると、ドイツの先生に習ったら、ドイツのやり方で教わるしかないんでドイツ偏重な音楽観を持つことになるかもしれないけれど、んなもん、落語を関西の師匠に習ったら上方風になり、東京の師匠に習ったら江戸風になる、ということでしょう。話が当たり前過ぎて、何を問題にしたいのか、よくわかりません。

日本人が、今の宗主国は米国なのに、音楽でいつまでもドイツを「家元」扱いしているのが気にくわない、というんだったら、それは日本文化論だし、

ドイツの「音楽の国」っぷりを論究したい、音楽が「国文学」や「国史学」のように伝承される国の在り方が興味津々である、ということになると、これは、ごく普通の地域研究になっていくと思います。

どちらにせよ、そういう研究があっていいとは思うけれど、そんな大それた画期的な何かだとは私には思えません。淡々とやればいいことだと思う。

事実関係としては、だいたいそんな風になってるよね、というところはみんな普通に知ってるし。

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で、こうやって解きほぐしていくと、結局のところ、吉田寛先生が何か強い決意で決着を付けたいことがあるみたいなのだけれども、どうやらそれは「音楽の国ドイツ」論を完成させることで満願成就するわけではなく、まだ何かが澱のように残ってしまうらしいことが、ぼんやり見えて来つつある、ということのような気がします。

それが何なのかはわからないわけですが……。

そしてわたくしは品性下劣ですから、その、まだ澄み渡るところまでいかないらしい「澱」が、そういえば吉田先生は、ご友人の増田先生や西村先生のように高校の同級生とご結婚されるのではなく、ちょうどかつての伊東先生のように音大卒業生(音楽学)と生活を共に営んでいらっしゃるという家庭事情と関係があるのかないのか、みたいな方向へ詮索の触手を伸ばしたくなってしまうのですが、これは、何ら具体的な根拠となる情報が手元にないので、これで打ち止めにしたいと思います。

(ちなみに「嫁」の話を持ち出したのは、西洋音楽から三味線音楽へ転向した徳丸吉彦先生の奥様がピアノ教師だったのを思い出したからです。徳丸先生は、「ワイフが家でピアノを教えている音を毎日聴かされて、それでピアノが嫌いになったんだよ」と言うのが、パーティの席で西洋学者を厄介払いする持ちネタだったようです。)

そしていずれにしても、「アイデンティティ」語りをはじめると、そこへ色々と語り手自身が映り込んでしまうのはやむを得ないし、それを承知の上でのチャレンジだと思うので、何が映り込んでいるのか詮索したくなる読者心理はある程度ご容赦いただきたい次第でございます。