褒めて伸ばす

相手が人前に出て来たのをこれ幸い、周囲を取り囲んで逃げ場をなくし、すぐに変わるはずのない相手の欠点をあげつらい、今すぐこの場でなんとかしろ、と無茶を言うのを「イジメ」と呼びます。みなさん、覚えておきましょう。「学校」で開発されたこの悲しい技法を、(実はそれなりに計算づくなのだけれども)「ボクはむつかしいことがわからないアマチュアで〜す」と善意の第三者を装いながら、ギリギリの条件でやってるプロの職場にもちこんで話をややこしくする。これはまさしく大阪の市長さんの得意技なので、ほとんどの方は既にご存じでしょうし、対策もおおよそ見当がついているとは思いますが(笑)。

非生産的にヒトを萎縮させる体制ゆえに崩壊した、という見方ができるかもしれない共産圏(あるいは「イジメ」に近い抑圧が横行したか?)で人生の短からぬ時期を過ごして、そのせいなのかどうなのか、正反対に歌手を「褒めて伸ばす」タイプであることをしっかり確認させていただくことのできたオペラ演出家、ペーター・コンヴィチュニーのびわ湖ホールでの3月のアカデミーのレポートを、今発売の『音楽の友』に寄稿しております。

一冊でも多く売れたら版元さんは嬉しいだろうと思いますし、何を言われても、わたくしは枕を涙でぬらして我慢しますので(←嘘、できることならお手柔らかにお願いしたいのが本音ではある、許さん、というならこっちも覚悟はするけれど……「オーストリアはドイツじゃない」で本当に大丈夫なのか、とか……)、ともあれよかったら雅哉さんも是非! ポピュリストだって法の下では平等、雑誌を楽しむ権利は当然ある!

DVDを観ながらのコメントの多くは、内容としては既存のインタビュー等で語っていることだったので、前半は、4日間眺めて考えた、わたくしなりのコンヴィチュニー観のようなことを書いております。

エーリヒの息子カルロス・クライバーを崇拝する許光俊さんのようなタイプがコンヴィチュニーにシンパシーを感じてしまうのは、たぶん、どこかに「フランツの息子」というところがあるからだと思うんですよね。

(なお記事中で一箇所訂正。コンヴィチュニーの言い回しを文中で「我々は」としていますが、通訳の蔵前さんが一貫して使っていた wir の訳語は「わたしたちは」でした。このニュアンスの違いは大きいと思います。すみません。

「わたしたち」は、客席の一部のお客様がミストーンを丹念に数える私設審判員に立候補して、「全日本スポーツ音楽選手権:職場・団体の部オーケストラ競技部門」(いわば「新フェスティバルホールをクラシック音楽の普門館にしよう!」運動、かつて翼賛総動員で儲けた「国民の味方」朝日新聞も大喜び?!)をヴァーチャルに展開していらっしゃる間も、蟻のように日々働いております!)

愛のむきだし [DVD]

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新興宗教の自滅するブスの「むきだし」な造形が素晴らしい。21世紀の勧善懲悪エンターテインメントはこうなるのか、と。