瞬時の判断と自然資本

自民党農政史(1955~2009)―農林族の群像

自民党農政史(1955~2009)―農林族の群像

ああ、そういう親子なのか、と妙な感動を覚えた。

そういう職業がある、ということすら普通は思いつかないと思うのですが(あるいは地元の有力者に近い人で議員の事務所とつきあいがあったり、東京に住んでいてあのあたりを通る人は、自民党がどういう事業規模なのか、たとえば本部のビルがどれくらいの規模で、だったらどれくらいの人がそこで働いているだろう、とか、それなりに具体的に考える機会があるものなのだろうか?)、

でも、考えてみたら宗教だって「法人」で、どでかい本願寺にはいっぱい「職員」さんがいるし、親鸞聖人の子孫は宗祖の墓とご真影を守るのが家職で、何代目だったかの蓮如上人が大変なやり手で家業を一気に大きくして……とか、そういうことですもんね。(当時の「一向宗」は親鸞を宗祖とする真宗より意味が広いようだし、真宗には本願寺派ではない派閥もある。)

チンピラみたいなアンチャンに自治体の舵取りを任せるのは、新興宗教に全財産を寄進するようなものかもしれない。明日なくなるかもしれない教団に親の墓は任せられない……。「会社」をちゃんと経営する見通しがあるならいいけど、いつまでたっても「民間では考えられない」タワゴトばっかりだしねえ。もう潮時でしょう。閑話休題。

蓮如―乱世の民衆とともに歩んだ宗教者 (日本史リブレット人)

蓮如―乱世の民衆とともに歩んだ宗教者 (日本史リブレット人)

これはもう、音楽は「趣味」ということで、(具体的な職歴がどういう風に展開していくのかは知らないし、それやこれやで「何学」なのかわからん、ということになったとしても)ビデオゲーム方面でどんどん行くのが面白いのではないだろうか。

「音楽学」とか「美学」とかに農業ほどのダイナミズムは期待できないと思うし、そっちは誰かが適当になんとかするでしょう、学会のトップが「国民は歌う」とか「プラスチックの木」とか言ってるし(と、瞬時に判断した)。

梅棹忠夫 未知への限りない情熱

梅棹忠夫 未知への限りない情熱

関係があるようなないような、京都一中→三高→京大の山岳部がこんなに話の広がることだとは思ってもみなかった。京都では、山に登らないようではまともな学者じゃない、という気すらしてくる(笑)。(山に登るからぶっ飛んでしまうのだ、という見方もできそうだが。)岡田暁生ですら、昆虫採集で山へ入るみたいだし。

こういうのは「文化資本」なのだろうか、あるいは、ブルデュー先生が想像もしなかった、いわば「自然資本」なのだろうか。(ただし、わたくしは父方も母方も「二階堂進先生」の地盤だったあたりの農家なので、農業という歴史ある人類の産業に「自然との共生」というようなロマンチックな幻想はもちろん抱いておりませんので念のため。)

川喜田二郎の仕事と自画像―野外科学・KJ法・移動大学

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