承前:「CS」は学問というより美談だと思う

[細かい追記あり]

訳者解題に、がっつり色々書いてあった。

モダニズムの政治学―新順応主義者たちへの対抗

モダニズムの政治学―新順応主義者たちへの対抗

マイノリティ出身の学者が劣等感や反骨心を抱えながら大成することは、たぶん、いつの時代・場所でも条件が揃えば実現しうる。(いわゆる「苦労人」タイプ。)

マイノリティに関する研究(もしくはそれまでマイナーとされてきた分野の研究)が一躍メジャーへ昇格することは、これもたぶん、いつの時代・場所でも条件が揃えば実現しうる。(英国のCSが対抗意識を燃やしたフランスのレヴィ=ストロースの構造主義人類学は、その好例かもしれない。)

でも、マイノリティ出身の学者がマイノリティに関する研究(もしくはそれまでマイナーとされてきた分野の研究)で一躍メジャーへ昇格する二重の大逆転は、「先行研究」(巨人の肩)の上に次の成果を慎ましく乗せていくという学問の方法論、「推薦」という学者・知識人のネットワーク形成法を考えると、そう簡単には起こりえないこと、かなり実現確率が低い伝説的な万馬券だと思います。

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レイモンド・ウィリアムズやスチュアート・ホールの成功は、「ちょっといい話」なのだと思う。ちょうどリバプール出身の4人組のバンドが大成功を収めたときで、時期もよかった。

結局カルチュラル・スタディーズというのは、学問として新領域を開拓したり、新しい視点や方法を提示したというよりも(=その理論・方法・対象はブリコラージュ的であることが知られている)、20世紀後半のバーミンガムにこういう人たちがいました、という美談が世界各地の似たような境遇や状況にある大学人に「勇気と感動を与えた」「全世界○○人の大学人が泣いた」、そして模倣者・追随者が続出した、という理解でどうでしょうか?

日本でブームが仕掛けられたのは1996年。阪神大震災とオウム騒動、エヴァへの熱狂で心がぐらついていた迷える若手院生たちが、不意を突かれて大泣きに泣いた。

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でも、Wikipediaによると聖地バーミンガム大のCCCSは2002年に解体されたそうですし……、

The Department was dramatically closed in 2002, a move the university's senior management described as 'restructuring'. Four of its fourteen members of staff were to be “retained” and its hundreds of students (nearly 250 undergraduates and postgraduates at that time, many from abroad) to be transferred to other departments. In the ensuing dispute most department staff left. There were protests against the decision to close Cultural Studies and Sociology from round the world and the University received much adverse criticism.

Centre for Contemporary Cultural Studies - Wikipedia, the free encyclopedia

期間限定一代限りの「美しい思い出」ということで、世間と折り合いを付けてはどうか。

イギリスのニューレフト―カルチュラル・スタディーズの源流

イギリスのニューレフト―カルチュラル・スタディーズの源流

スチュアート・ホールの経歴には、CCCSの所長と並んで New Left Review 編集長というのが出てきますが、1962年に新左翼の路線対立で同誌から「文化主義者」が追い出されて、後釜の編集長に座ったのが当時22歳のペリー・アンダーソンで、彼の兄が『想像の共同体』のベネディクト・アンダーソン……。

現代文化や大衆文化の研究がやりたいだけなのに、どうしてこんな狭い人間関係の党派争いにつきあわなければならないのか、「オレも一発万馬券を当てるぞ」と盲目的情熱に突き動かされて、失うものがなく野心満々な大学生以外の普通の人間は、うんざりすると思う。

考えるべき問題点や使えるツールと理論について、一度それと分けて整備する。そういう細々した整理仕事をやるのが学者で、そこをひととおり頑張ったから広まったということだとは思いますが、狭いところから出てきた経緯・歴史は消えないし、消していいものではないような気がします。

高等教育機関に反乱分子として「細胞」を注入する戦略(黒い欲望?)は、これだけ公然と認知されてしまうと、運動としての効力がもう薄れてしまっていると思うので、革命を諦めない人は、別の作戦を立てる、ということで。

大衆社会は美談を好む。

(ただし、うちの死んだ父=盤石の巨人ファンは、負けず嫌いだけれども奇跡の大逆転などという「物語」を信じない現実家で、ジャイアンツが負け確定になった時点で試合途中でも「テレビを消せ」と言って、そのまま寝てしまう人でしたが(笑)。

これはもちろん、敗北から目を逸らしているわけではなく(父は昭和8年生まれで敗戦の前と後の為政者の劇的な態度反転を経験した小国民世代です)、読売巨人軍は、一度の負け試合くらいでぐらつくことなく、明日も明後日も試合をすると信じていたのだと思います。巨人軍は彼にとって「象徴界」の存在だったわけです。21世紀のオトーサンたちも、子供にしっかり「象徴界」を植え付けてね。ニッポンの未来のために!)