一難去って床屋政談

吉田寛先生がそしらぬ顔で東浩紀(文化としてのヤンキーの対極にいるかもしれないギークなオタク)の90年代の感性論をピックアップしたのを読んだ頃から、「ああ、ポピュラー音楽論は旗色が悪いんだな」と思い始めています。(それが良いとか悪いとか言うつもりはないし、吉田先生ご自身は、単に自分がやるのはそこじゃない、ということに過ぎないのは重々承知していますけれど。)

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イングランド流現代文化研究はニューレフトの周辺に発生した動きで、初期の研究が1960年代から70年代に相次いで訳されたのは、はっきりとは確かめていないのですが、どうやら、日本の全共闘世代かその周辺の後押しによるらしい気配がある。

読み書き能力の効用 新装版 (晶文社アルヒーフ)

読み書き能力の効用 新装版 (晶文社アルヒーフ)

例えば『読み書き能力の効用』が復刊したときの訳者あとがきには、「ニューレフトは1978年に退潮した」と自明のことのように書かれていますが、1978年前後に何があったかというと、1977年は「ドイツの秋」(ドイツ赤軍が元ナチ親衛隊の大物財界人を誘拐したのち、ルフトハンザ機をハイジャック。財界人は殺害され、一連の過程で、赤軍幹部が獄中で「自殺」とアナウンスされた謎の死を相次いで遂げた事件、東京でも上演されたラッヘンマンのオペラ「マッチ売りの少女」はこのとき獄死したグドルン・エンスリンの手記をテクストのひとつに用いている)があり、1978年にはイタリアの「赤い旅団」が元首相を誘拐して殺害。1977/78年は、こうした極左武力闘争が盛大な事件になるとともに退潮した節目だったようです。

そういうことを自明の経過として知っている方々によって、現代文化研究(のちの「CS」)は日本に紹介された。

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そして1990年代に装いも新たに、世代交代して再輸入されるわけですが、柄谷行人が、この動きを「ポスコロ」「カルスタ」と罵倒したのは、本人が60年安保闘争世代の全共闘嫌いですから、「まだ全共闘やってるのか」と思ったのでしょう。当時を知っている人にとって、「ポスコロ」「カルスタ」は全共闘の亡霊に見えた、ということだと思います。

柄谷行人 政治を語る―シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する〈1〉 (シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する 1)

柄谷行人 政治を語る―シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する〈1〉 (シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する 1)

で、考えてみたら、このブームに乗ったのは1970年前後生まれの団塊or全共闘ジュニア世代ですから、話が合うんですよね。親の世代の新左翼の夢を子供たちが引き継いだ形になっている。(ポピュラー音楽学会では、作品概念の言説分析に関する新説を発表した若手が、増田幹部の前で「総括」させられたりもしたようだし……。新左翼の作法は正しく継承されています。)

そうして全共闘で京大のバリケードの中にいたのかもしれない上野千鶴子がどんどん偉くなって、小熊英二の陣頭指揮で1968年を詳細に書く分厚い二巻本が出たりもした。

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

反論は全部読んでからにしてくれ、と著者は書きますが、こんなもん全部よんだらゲンナリするのが目に見えていますから(実際ゲンナリした)困ります。この人の本はいつもそうだ。前から後ろへ順番に読まずに、必要なところだけ拾い読みすればいいのだと思います。

ゼロ年代の若手学者さんは、60年代(親の一種の文化資本)を受け継ぎつつ書き換えた人たちだったということで、その最後に、五木寛之的演歌論を書き直す本が出たのは、まことに時宜にかなったことだったのかもしれません。

でも、それってものすごく狭い世代限定の「夢」とその事後処理だと思いますし……、

戦前・戦中生まれ(=「戦後派世代」)の親から生まれて80年代にボンヤリした学生時代を過ごした者には、何が何だか、どこがどう面白いんだか、わからんはずです(笑)。

(そしてそう考えると、2011年に地震が起きたのは、すごいタイミングだったのかもしれません。あれで「夢」が覚めた。)

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そういえば、民主党政権さんはやることが全共闘っぽいと言われたりもしたようですし、松下政経塾な若手さんは、ひょっとすると団塊ジュニア的だったりするのでしょうか。そうして大阪/日本維新の方々、もしくはこれを支持した方々の北摂マイホーム主義には、シニア&ジュニア団塊な方々の人生観が透けて見える感じがしないではない。(都会の闇めいた既得権への疑心のみならず、売春・慰安婦問題で即座に彼から離れる道徳観を含めて。)

そのあたりをターゲットにすると、(1950年代的「前衛」とは違った種類の)祝祭がお好きな方々ですから、ブームは起きるのだけれど、どうも、壊すのが得意で、何かを創るのは苦手、みたいな印象がある。

(「理系政治家」管直人とか、「弁護士」橋下徹とか、悪気のないイラチな正義漢キャラが極めてタチ悪く作用するのが、シニア&ジュニア団塊体質の目印かもしれません。)

個人の能力・資質の話はひとまず脇へおいたとしても、「現代音楽文化研究」が学問として足場を固めてこの先まで残るのかどうか、は、グローバルvsローカルという世界経済情勢な話へ直結する前に、このあたりの特定世代へ頑強に最適化するのか、しないのか、舵取りの態度を決める手順が要るんじゃないだろうか。

もちろん私は、そういうことに興味がないので、世代限定な色と臭いを消してくれ、と思うわけですけれども。

ここのところで腹をくくってようやく、三輪眞弘さんが提起したような話と同じ土俵でつながってくるんじゃないでしょうか?

(で、ひょっとして、増田聡は、事前に京都賞の委員として適当なポピュラー音楽研究者を紹介・推薦してくれないか、みたいな内々のご下問を主催者周辺から受けたりしたから、実は京都賞の部外者ではないのだ、とか、まさか、そんな「裏」はないでしょうね(笑)。)

追伸:

そういえば、大植英次という指揮者はバイロイトで一度死んで、それでも大阪は見捨てないで9年の実績を積んだし、住大夫師匠は、失礼ながら華や才能の点では、たぶん兄弟子ほどではないと思うのだけれども、ああして文楽を支えていらっしゃる。「文化の力」がぐっとせり出してくるのは、敗者復活的な局面においてなのかもしれません。そこが、シニア&ジュニア団塊的に正しい道を進んでいると、見えないのかもしれませんね。

前にも書きましたが、お二人の設立功労者が長く交替で会長を務めていると伝え聞くフォークロア系の学会とか、ああいう形が、「若者の運動」として勢いで盛り上がった分野がその勢いで結成した学会(いわば同棲の末の「できちゃった会」)の着地点としては参考になるんじゃないでしょうか。