そのとき職場の加齢臭ただようオッサンは「蚊帳の外」なのか?

[補足:文春で未婚の母といえば桐島洋子、なるほど。http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/07/post-1cb5.html ]

たとえば大学院生が、結婚して(あるいは未婚の母として)子育てするから休学します、みたいなことは、どういうタイミングで同僚や指導教官や研究で関わる人たちに切り出されて、どういう手順で実行の運びとなるものだろうか?

そのとき指導教官や(そういうチャンスに恵まれているとしたら)その人の本を出そうとしていた編集者等々は、(まるで理想化されたアメリカン・ファミリー映画の一場面みたいに)「あめでとう!」と間髪入れずに笑顔で反応して、ただちに所定の手続き等のサポート体制に入る、そいうしくみが、現在の大学(院)というところは、できあがっているのだろうか?

だったらいいんだけど。そして一般の職場もそういう風になっているんだったらいいんだけれど、必ずしも環境が理想状態ではなく、なんらかの工夫ややり繰りが必要なのだとしたら、何をどういう手順で進めていったらいいのか、何をどういう手順で相談してくれると有難いか等々といった、「職場の都合」というのは、やっぱりあるんじゃないだろうか?

オヤジ系週刊誌が人気女子アスリートの「未婚の母」騒動に絡もうとしたのは、結果的な出し方で誤解を招いたかもしれないけれど、そういう風に、もし自分が関係者になったときに、ギリギリまで「カヤの外」に置かれてしまうと大変になりそうだ、とか、そういえばワシのところでも少し違うけどこういうことがあったとか、それなりに語りたいこと/語れることがあったんじゃないのだろうか?

今回は、既に子供を産みました、というタイミングで表沙汰になったから、自分が関係者だったら全部言葉を飲みこんで「よかったねえ」と言うことになるとは思うけれど、そこへ至るまでに彼女がどういう風にハッピーな(あるいは時にはアンハッピーな)経緯を経たのか、周囲に少なからずいたであろうオヤジたちは、そのときどういう風に立派に(あるいはみっともなく)対応したのか、というところに、ひょっとしたら他人の参考になるトピックがあるかもしれない程度のことは、たぶん、週刊誌だったら考えるだろうなあ、と思う。

逆に、あまりに色々なことが複雑に絡み合っているので、今回のここまでの経緯をオープンにするのは、ちょっと勘弁して欲しい、ということだって、もちろん、あるだろうと思うし、

だから、基本的に何をどうしろ、とか言う筋合いではないけれど、

でも、そっち方面のモヤモヤを一切ないことにして、この件にオヤジが絡んでくるのはすべて「悪」、あの子に対しては全部「おめでとう」というのは、ちょっと違和感がある。

47歳までまったくいいかげんに生きてきたわたくしですら、オヤジ目線で他人事じゃないよなあ、と思ったし。

(他人事じゃない感じがするに至った具体的な話は、幸いなことに今現在ほぼ関係者全員が納得して良い形で物事が運びつつあるようなので、こんなところには一切何も書かないが、自分自身ことではないだけに逆に気を揉む局面が、オッサンにもいちおうあったよ……。)

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この話題は、本物の完全犯罪は定義上、殺人にカウントされない(当事者以外はそれを「殺人」と考えていないのだから)というのと同じで、本当にハッピーな仕事と家庭の両立は、それを達成するまでに様々なドラマがあったとしても公然化しない、という不可知の構造があるような気がします。

そして実は、メインであれサブであれ、現在絶賛稼働中の「コンテンポラリーな文化」は、不可避的にそういう不可知な領域を含み持ってしまうのではないか。

サブカルチャー論は、メイン・ストリームが権威とともに存在を誇示する一方、こっちは色々大変なんだよ、の論法を採用することがあるけれど、実は、大変さという点ではどっちもどっちなのかもしれない。

若者文化は、格言を反転して「子の心、親知らず」というかもしれないけれど、やっぱり「親の心、子知らず」が無効で消滅したわけではないと思う。

当たり前すぎる感想で、何も面白くない話だが。