私はソムリエが好きかつ嫌いだ

豊富な知識を笑顔に包んでお客様にワインをお薦めするソムリエ業。

これはいい、と思ったもの、思ったポイントを誉めるときは、何であれ常にその精神で言葉を編制している所存でございますれば、音楽について書く仕事の、それはまあ、一種のロール・モデルのようなものかもしれないのですが、

たぶんそういう仕事のキモは、マズいものをどう切り抜けるか、ということなんでしょうね。

まさか誤解されているはずはなかろうと思うのですが、私は商業主義が成し遂げた偉大な成果は大好きです。

某隣の県のあそことか、素晴らしいと思うし、機会あるごとに言葉を尽くして、ウソにならない言葉を必死にさがして、かなり一生懸命誉めてきたつもりです(笑、ここで笑ってはいけないが……)。

そういう性癖もあって、まったく何の言葉も浮かばない、誉めようがない、という窮地に陥ることは、たぶん、ほとんどない。

で、そうなったときに見えてくるのが、これは一種のすれっからしかもしれないのですが、どうやら商業主義でビジネスとしてスケールしそうな感じではないし、かといって、こだわりの趣味を極めた一点物として「これだ!」と研ぎ澄まされているわけでもなさそうな物件を、いったいどのように触ればいいか、普通なもの・凡庸なものに対して、笑顔のソムリエは成立するか、ということであるように思っております。

経験上、普通なもの・凡庸なものが、普通なままに幸福に輝いている状態を捕捉した(と思った)場合、私は感動のあまり人目をはばからずに泣く生物であるようです。(演奏会や映画で泣いてしまうとき、というのはたいていこれ。)

考えてみれば、シューベルトとかウェーバーとか、大栗裕もここに入れていいかもしれませんが、私が時間をかけて調べようと思う人はみんな、大作曲家列伝風のパースペクティヴのなかに入れると全然普通・凡庸な人たちというか、それがビーダーマイヤー調ということですけれども、私はそういう「普通なままに幸福に輝いている」感じを言葉にできないものかと思ってしまう性癖であるようです。

で、こういう現象にどういう言葉で触ればいいかということは、さすがにそればっかり考えてきたので、ちょっとずつわかってきたような気がします。

が、どうやらそれとごく近い状態として、商業主義でビジネスとしてスケールしそうな感じではないし、かといって、こだわりの趣味を極めた一点物として「これだ」と研ぎ澄まされているわけでもない物件が、なぜか不幸な感じにこわばって、輝きを失って身動きできなくなっている(ように見える)ことがある。

これが本当に苦手なのです。

今このように記述してみるとすぐにわかるように、そもそも、ある現象を

「商業主義でビジネスとしてスケールしそうな感じではないし、かといって、こだわりの趣味を極めた一点物として「これだ」と研ぎ澄まされているわけでもない物件が、なぜか不幸な感じにこわばって、輝きを失って身動きできなくなっている(ように見える)」

などとあからさまに言葉にしてしまう行為は、ものすごく失礼かつオセッカイだし、ほぼ「上から目線」で「何様」な感じに充ち満ちているので、よほどの覚悟がなければ、そんな風には言えない。(そういうお前はどうなのか、ということになるし。)

実は先方はめちゃくちゃリア充で、こっちが勘違いしていたり、こちら側の何かを先方に投影してしまっている、というような精神分析的な「依存」の症状かもしれませんからね。

だから、ぐっと言葉を飲みこんで、そういうのではない言葉と方角からあれこれアプローチしたり、直接触るのがヤバそうなときは遠くから観察したり、「依存」の症状が出てしまわないように、しばらく放置してほとんど忘れてしまって、それっきりになったらなったでいいや、の態度でいたりして、実際それっきりになったりすると、まあ、縁がなかったのであろうと妙に安心したりするわけですが、

遠ざかりもしないし近づきもしない状態がなんとなく続いたりするのは、いったい何なのか。これが一生続いたりしたら、ちょっとした恐怖であるなあ、と思ったりするケースが稀にある。

うっかり油断すると「相対的他者の絶対性」という批評用語が出てきてしまいそうなので、おそらくこれは赤信号に要注意な症状かもしれず(笑←ここは、笑っていいですよね?ダメ?アウト?)、

そうなると、やっぱり「(笑)」では済まないかもしれないので……、死ぬなよ、と心の中で声をかけて、あとは、私の知らないところでリア充であることを祈るしかない。

たぶん、ある種の文化現象のことばっかり考えているうちに、輝いている凡庸と輝いていない凡庸を識別する受容器が妙に鋭敏になってしまっているのだと思います。これも一種の職業病か?

改めて考えると、これは、何かを「嫌い」になることが苦手である、と言っているのに等しいような気もしてきますね。実際そうなんで、積極的に「嫌い」なものが、わたくし、かなり少ないのですが……。

好き嫌いが激しい心、というのは、私にはよく理解できない……。これはひょっとしたら笑えないビョーキか?

(大栗裕の歌劇「夫婦善哉」について、どう書いたら面白くなりそうか、だんだんわかってきて、目下追い込み作業中でございます。ダメ男をとことん愛すとこうなった、なお話ですね。)