京都市交響楽団はモーツァルトの協奏交響曲を自前でやれる

『音楽の友』最新号の後ろのニュースコーナーで、いずみホール(私が皆様をこのホールへ「ご招待」する義理はないと思うので、チケットも買える公式サイト等はご自身で探してください、今やネット・ベンチャーのポータルめいた外観のサイトですが、リアルに存在する音楽ホールです)のモーツァルト・シリーズの短信を書いていますが、ひとつ書ききれなかったポイントがあったと気付いたので、アフターケアとして書いておきます。

3年続くシリーズとのことで1回目が10/30の広上・京響ですが、これはVnとVaのソリストも楽員さんなんですよね。(元N響首席の店村眞積さんは少し前から京響のソロ・ヴィオラ奏者。ソロ・チェロとして上村昇さんが弾いているのと合わせて、京都だからできる二枚看板。)

考えてみれば、京響は公立のオーケストラとして京都市内ではコミュニティ・コンサートを続けていますし、びわ湖ホールでは開館以来、ピットに入っていますが、

(若杉さん時代にヴェルディの珍しい作品を次々初演したときのピットはすべて京響。ヴェルディ・イヤーで京響を使おうというところがないままで終わっちゃうのは勿体なかったですね。企画する人たちが代替わりして、もう、そんな昔のことは知らんということか……)

京響が大阪で演奏するのは、関西二期会のピットに入ることもなくなったので、自主公演がたまにある以外では珍しいと思います。誰が指揮台に立っても演奏は安定して、ここ数年とても良い状態ですし、大阪で京響を聴く貴重な機会という意味があるんじゃないでしょうか。(どれくらいの編成でやるのか、ホールのサイズとのバランスはちょっと気になりますが。)

以前、今回と同じ広上さんが指揮する大阪公演(シンフォニーホール)で、モーツァルトのもうひとつの管楽器群がソロに立つ協奏交響曲をやったことがありました。たぶん広上さんの頭のなかでは、このオケをアウェイでアピールする一番のポイントは「自前でモーツァルトのコンチェルトができる腕利きのオケ」ということなのだと思います。

今回、この企画にこの選曲で京響が入ったのがどういう経緯だったのか、主催者の記者会見のときにはほとんど話が出なくて(外国や東京からたくさんお買い物をしてやるシリーズなので他に言うことがいっぱいあったのでしょう)、こちらもそのときはここがポイントだと気付いていなかったので、改めてご紹介でした。広上さんはもう5年目ですし、今のうちに一度は聴いておく、というのもいいんじゃないでしょうか。

(以上、京都には来ることがあっても京響をどれだけ聴いてるのかわからん人が紹介するより、ここで一度書いておいたほうがいいだろうと思いましたので。珍しく「仕事の日記」でした。)