相対優位

なんだか上海へ亡命した没落貴族のような話だが、時価数億円の宝石を山ほど持っていても、100円のパンを買えないことがありうる。

独占が本当に実現して、その他大勢がその物品なしでも生きていける状態になってしまうと、その物品の需要が消滅するわけだから、売りたくても売れない状態になる。たぶんあまり良い説明ではないとは思うけれど、そういうことであるらしい。

そこまで極端でなくても、その筋の人にとっては喉から手が出るほど欲しくてたまらない本が古書市場で二束三文だったりすることは割によくある(らしい)。古楽黎明期には、貴族の屋根裏部屋でゴミ扱いされていた貴重なアンティーク楽器をただ同然で入手した話があったりする。

で、そうした奇妙な事態をあれこれ勘案して考えると、どうやら経済活動というのは、グローバリズムを叫ぶローカルな人が信じるように一人勝ちへ突進する弱肉強食が支配しているわけではなく、全体として欲しい人のところへイイ感じに欲しいものが配分されていく共存共栄のためのメカニズムが全体としては作動していると見た方がいいらしい。

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

欲しい本やアンティークをタダ同然で入手した人も、ゴミを持っていってくれた上にお小遣いもらっちゃった、と思っている人も、両方得したと納得してるんだから、いいじゃないか、という話で、需要と供給がペケポンの形にクロスする有名なミクロ経済学の図は、そういうことを意味していると解釈できるようだ。

経済学という教養 (ちくま文庫)

経済学という教養 (ちくま文庫)

本書の「相対優位」の説明は、もっとすっきりわかりやすくて、ここでは、自分の文脈にかなりねじ曲げてますが。そしてそこから先の、自由市場がうまく機能しないときにどうするか、が本の本題ではありますが、ここではもっと初歩的なところで用が足りそうなので、入口のところだけ。

「それがいかに高い価値を有するか」(芸術作品に対する学者の解説や鑑定はしばしばそういう話法になるわけだが)ではなく、「私(たち)がそれを今いかに欲しているか」というモードに入らないと、トレードが始まらない。

「これ、いいでしょう」と見せびらかされると反射的に飛びついてしまう、というのは、自由市場の生き方というより、貴族や成金、お坊ちゃん、お嬢ちゃんの発想ですもんね。

ああ、音楽にもやっぱり明朗な損得勘定が要るんだ、立派かどうか(権威主義)でなく、高いものは高いなり、安いものは安いなりに、筋が通ってぴったり話が合ってることが大事なんだ、やっぱり大阪!というのは、色々試行錯誤しながらやっていると、なんとなくわかってくるもんだと思うのだけど、案外そうでもないのかなあ……。不思議。