デュメイ学校

デュメイ・関西フィルのフランクの交響曲。この感触は何かに似ている、と思って途中で気がついた。言葉が全部明瞭に聞こえて、詩が耳で聴くだけでカキっとわかる歌曲や合唱を聴いているかのようだった。

フランクの交響曲は、どこがどうしてそうなったのか、細かいところがよくわからないうちにいつの間にか盛り上がっている、という風になりがちな作品で、ややこしく転調したり、楽器の受け渡しで筋を追いにくくなりがちな箇所があちこちにあるわけだが、全部丁寧に処理して、最初から最後までがつながって聞こえたように思います。それは驚嘆すべき成果。

通常の指揮者とオーケストラの関係というより、先生と生徒っぽい感じになっているのかもしれない。

英語の教科書のわからない単語はあらかじめ予習しておいて、先生に当てられたら、その箇所を読んで訳して、おかしいところは先生が訂正して、文法の説明を加える。そうやって、3年かけて「フランクリン自伝」を一冊丸ごと最初から最後まで全部読む、みたいな。

明治の旧制高校とか、エリート校の模範授業っぽい感触で、やろうとしていることはよくわかるし、こういうやり方で隅々まできれいに整えることに意味がある作品でもあると思う。

(終楽章の最後に第1楽章が戻ってくるあたりになっても、勢いで押し切るのではなく一言一句はっきり読んでくれたので、ここはそういう風になっていたのか、と初めてわかりました。フランクって不思議な作曲家ですね。ブラームスやサン=サーンスのように博識な人が楽壇の重鎮になっていて、シンフォニーが公衆に長年の研鑽の「成果」を披露する場だった時代の感触でもあるのでしょうか。)

こうやってひととおり「教科」を履修した先に何が出てくるか、ですね。