梅田、伝説の舞台

毎日新聞に、梅田の大阪駅前ダイヤモンド地区の1959年の写真が載ったらしい。これ、ずっと観たかったんですう。

この時点で阪神百貨店と道を挟んだ第一生命ビル(旧館、今はヒルトンとくっついた商業&オフィスビル)、それから阪神の裏の現在の東京建物のビル、この3つは1959年段階で既にあって、このビルの周りに蟻が群がるようにチマチマと平屋(梅田繊維街と表記されている)が広がっている。

『ラーメンと愛国』の、百福がここではじめて支那ソバをみた、と言う「伝説」も、このあたりのことなんじゃないでしょうか。

再開発に着手できない最後の砦みたいな場所で、それでも私が中高生の頃(1980年前後)は既に取り壊したあとの工事中。東の御堂筋側か、西のこれも間もなく取り壊されることになる商店街(旭屋書店とかが入っていたはず)のほうから回り込まないと、駅前第一ビルのYAMAHA(今はもうない)や第二ビルのササヤ書店にはたどりつけませんでした。

写真があると、記憶は多少補正されますね。まだ色々記憶違いがあるかもしれませんが。

そういえば、「ポートピア'81」という地方博があったから(パンダが来た)、神戸の沖合を埋め立てたポートアイランドができて、ポートライナーが未来の乗り物、みたいだったのもこの頃ですね。そのときに山を削って、こんどはそっちに競技場とかを作って1985年にユニバーシアードを招致するのだから(山の賑わいで閉会式の借り出されて、水兵みたいな衣装着で團伊玖磨の祝典行進曲の小太鼓を叩いたが、その話をあとで大学の英語の授業のときにうっかり話すと、英国人講師が「そんな行事に加担することを君はどう考えているのか」とえらい剣幕で問いつめられ、意識の低いアホ学生扱いされてしまった、まあ実際そうだったわけですが)、今思えば、1980年代は、「郊外」を作るためのダイナミックな開発が各地で絶賛進行中だったんですよねえ。