花をたむける

2000年頃だと思うけれど、すでに退官して他の学校へ移っていた恩師から、人づてに、「任期はあと一年だから、それまでに博士論文をこっちに出せ」という「指令」が伝わってきたことがあった。一瞬考えて、まあ無理だな、と思ってそのままにしたけれど、無理くりにでも何か作文して出せば、あの先生のことだから豪腕で通しただろうと思う。そうしていたら、そのあとどうなっていたか。

博士号があれば、どこかに押し込んでもらえたか。たぶん、そこまではできずに、結局、できの悪い博士論文だけが事実として残ったか。

日本(とあえて大げさに大きく出る)が、学問の分野で無理な戦争をやっているな、という感覚は大学院にいた頃、確実にあったし、その無理な戦争の見事な成果が世に現れつつある、ということだと思う。

あの頃士官に志願するか、しないか、差は紙一重だった。

ゼロ年代前半、京大卒のネットベンチャー社長の立ち上げた和製ブログサービス(今私が文章を載せているここだ(笑))に若手(当時)の社会科学者が次々実名で参集したのは、帝国陸海軍の青年将校同期の桜が世間を肩で風切って歩く、末は「五・一五」か「二・二六」か、みたいな感じがあったよね。

https://twitter.com/smasuda/status/443750910557425664

https://twitter.com/a_kitada/status/443787097409720320

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)