(人間群像)

(演劇人

……はすぐに客をどやしつけたり、動員が荒っぽいから困る。プロはいい。学生演劇とかやってた「自称」は始末に負えない。)

(ニセ教祖

俗世を解脱した達人を気取るには、何十年か前の手垢のついた教説を暗記して繰り返すに限る。一般人には、どこかで耳なじみのある教えなので抵抗が薄く、十分にこなれた論の運びなので、ただの丸暗記に過ぎないとしても自信たっぷり読み聞かせができる。

ただし、学問というやつは日々更新されるので、既に否定された説が紛れ込んでしまうことがある。

それを指摘されては都合が悪いわけだが、慌ててその新説を取り入れてしまうと、「悟りを開いた達人ではなかったんだ」ということになり、進退窮まる。

とはいえ、鰯の頭も信心からなので、信者の前では平然としていればよろしい。そのうち、波風も収まって、どうにかなる。誰も話の中身なんて聞いちゃいないのだ。言ってるニセ教祖本人もそうであるように。重要なのは、もっともらしく自信たっぷりであること、これに尽きる。)

(「おじさん」から「おじいさん」へ

2014年の楽しい話題のひとつに、「おじさん的」で一部の熱烈な支持を集めた人物が、もはや繰り言を言う「おじいさん」のステージに入ったことがあると思う。脇に控える「おにいさん」が、これにつれて「おじさん2号」に昇格する年功序列をここに見ることも不可能ではないかもしれないが、それよりも、なりたてホヤヨヤの「おじいさん」は、おじいさんぶりがまだ板に付いていないビギナーであるとお見受けする。その帰趨が注目される。)