「カウントダウン省略、シンフォニックバンド発進!」

[こちらの補足記事もあわせてお読みください。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140918/p1 ]

岡田暁生が「音楽学者」の肩書きを採用するのは軍人の誇り、私はリヒャルト・シュトラウスや大戦期の音楽を語っているけれど、いや、だからこそ、ナントカ評論家のようなアマチュアじゃないんだよ、と言っている感じがする。

岡田暁生は、このように拘束具を絶対に外さない人なわけですが、一方、大久保賢の「まことにすばらしい」、ホロヴィッツのフラヴーラに目を丸くして、アムランなんてオモチャみたいなものだと切り捨てるところは、ミリタリー・マニア(ミリオタ)っぽいんですよね。

で、片山杜秀は、最初に日本近代思想史研究(ぶっちゃけ戦前の右翼の研究)という看板を出しているので、逆に音楽ライターとしては自由にミリオタ成分と戯れることができた。はっきり「ホビー」なんですよね。うまくやったな、ということだと思います。

クラシック音楽(とりわけオーケストラとかピアノのヴィルトゥオーソのようにパワフルなやつ)はミリオタと親和性があるように思われ、こうした人たちをみていると、リアルな「軍事」は取り扱い要注意だけれども、「ミリオタ」は、男の子ってそういうものよね、とほほえましく受け入れてもらえるはずだ、という線引きを前提しているような気がします。

この線引きを、どこでどうやって侵犯するか、しないか、というあたりでそれぞれの立ち位置が決まる。

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さて、そして吹奏楽です。

先日来追いかけております1970年代以後のニッポンの吹奏楽の「民主化」におきましては、脱軍国主義(ニアリー・イコール「行進曲のブンチャッチャ&根性しごきの縦社会な精神論を脱却すべし」)が潜在的な合い言葉だったと思うわけですが、

1980年代に入って、順調に色々な装備が整って参りますと、時の首相の「不沈空母」発言じゃないですが、バンド・ジャーナル誌上に「シンフォニックバンド」という不思議な言葉が投入されます。

「ブラスバンドは、金管合奏を指す言葉だから不正確だ」

というのは、比較的早くから言われており、東京佼成が先鞭を付けたように、ウィンド・アンサンブルやウィンド・オーケストラという言い方がニュートラルで響きも爽やかだからいいんじゃないか、というあたりが、穏当リベラルな落としどころかと思うのですが、

(フレデリック・フェネルがイーストマン・ウィンド・アンサンブルを結成して成果を上げていることは既に1960年代後半から日本でも紹介され、フェネル自身も、短期間でしたが1970年には万博イベントに出演するため来日している。)

バンド・ジャーナル1987年10月号に、突如として、「特集 ザ・シンフォニックバンド」という14ページの企画が組まれます。

  • シンフォニック・バンドの軌跡 国立音大ブラス・オルケスター30年の歩み 藤田玄播
  • 日本のバンドが歩んだ道 小澤俊朗
  • ヨーロッパのバンド ディスクできく栄光のパリ・ギャルドから各国のバンド 稲垣征夫
  • アメリカのバンド 目的別にしっかりと区分される多様なスタイル 箕輪響
  • ディスクできく世界のバンド ドイツ・マーチからPJBE、日本のバンドまで 後藤洋

特集の中身は、こんな風に依頼原稿が並ぶだけなのですが、不思議なことに、この特集は、どこにも「シンフォニックバンドとは何か」という言葉の説明がないんですよね。

吹奏楽やウィンド・オーケストラでは何があかんのか、説明は一切なしに、無血クーデターが中央放送局を占拠した、みたいな感じで、ドーンと「シンフォニック」なる言葉が出現している。

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実は1982年から、誌上には吹奏楽のレパートリーを紹介するコーナーが毎号設けられていて、それは、

「コンサート・バンドのためのBand Music Repertoire」

というタイトルになっています。たぶん、この「コンサート・バンド」というのが、80年代に目指されていた方向を一番よくあらわしていると思うのですが、この言葉が、1987年10月に、突如「シンフォニックバンド」に昇格するんですよね。

そういう意味では、クーデターというより、民主化の指導者がある日突然自らを「皇帝」と名乗り始めたナポレオン、が一番似ているかもしれませんが、これはどうしたことなのか?

理由は、しばらくすると実にあっさりわかってしまいまして、

翌年5月に、『バンド・ジャーナル別冊ザ・シンフォニックバンド』というのが刊行されます。

どうやら、前の年の10月の特集は、これを出すためのプレ企画だったっぽい。

そして『別冊ザ・シンフォニックバンド』は本誌1988年6月号に広告が出ておりまして、そこにはこういう説明がある。

バンドジャーナル編集部では“吹奏楽”と総称されている中の“コンサート・バンド”の編成である「シンフォニック・バンド」をとり上げ、指導・運営の両面を中心に、経験ゆたかな先生方の記事構成で、指揮者のための誌上クリニックを展開します。このバンドジャーナル別冊「ザ・シンフォニックバンド」は、小・中・高校の学生など、吹奏楽指導者のための必読の一書です!

よくわからない説明なんですけれど、「これからはシンフォニックで行きたい」ということなのでしょう。

おそらく、「民主化」=みんな仲良く中学・高校の思い出作り、だけではそろそろ頭打ちだから、ワンランク上のグレードを設定したい。そしてそのときのシンボルは「シンフォニック」だろう、ってことになったような印象を受けます。

そして、これは順番に読み進めたときの直感に過ぎないのですが、ここに「シンフォニック」の語が出てきたのは、ミリタリーな壮麗感、「音楽のミリオタ」を解放しようってことじゃないかなあと思うのです。

「ミリタリーじゃないんです、シンフォニックです(軍隊じゃないんです、自衛隊です)」という風にいいながら、巨大戦艦がゴゴゴっと発進して、視聴者のハードをつかむSFアニメの第1回ラストシーン(ヤマト?)みたいな感じ。

以上、こんな話をすぐには「論文の言葉」に変換できそうにないので、とりあえず、放言として、メモしておきます。

(この数年前までの「民主化」は、自分の若い頃の思い出を引っ張りだしながら納得できるのだけれど、「シンフォニック」が入ってくると、もう実感では届かない。1990年前後に何か新しいものが入ったんだな、心してかからねば、と思うのでした。)